ほっと、できる場所｜リアクション

ほっと、できる場所

　旧市街に程近い九夜山の森をわけ入ると、放置されたままの簡素なプレハブ小屋がある。何の目的で建てられたのかは分からないが、少なくとも現在まで１０年近くはほっとかれたままなのは間違いない。なぜそんな事が分かるかと言えば……ここは新田亮が、幼少時代から勝手に秘密基地として使っているからである。

（さて、少し休むかな）
　ここまでランニングをしてきた亮は流れる汗を拭いながら、ギシリと耳障りな音を立てるプレハブ小屋のドアを開ける。そして慣れた様子で上がり込むと、吊されているハンモックに寝そべった。
　このハンモックは幼少の頃の亮の手作りだ。よってその頃はとても大きく感じたが、今ではいささか窮屈になっている。それでも高校生になった亮の体を支えてくれているのだから、立派なものだ。亮は幼い自分の仕事に感謝しながら目を閉じた。

　開け放した窓から木々のざわめきや鳥の囀りが聞こえる。森というのは穏やかに賑やかなものだ。そこには健やかな生命が溢れている。
　亮はそんな温かな音と爽やかな空気を全身に感じながらハンモックに揺られる。こうして目を閉じていればプレハブ小屋の薄い壁など溶けてなくなり、亮自身が森の一部になったようだ。トレーニングで火照った亮の体が５月の涼やかな風に冷まされていった。
　ゆったりと流れる時間を亮は満喫していた。こんな風に時を楽しめるようになったのはいつ頃からだろう。
（少なくとも、この小屋を秘密基地にしてに入り浸っていた頃じゃないな）
　あの頃の自分の姿はハッキリ思い出せる。何せ、最近会ったばかりなのだ。
　あれがきっかけでまたこの小屋を訪れるようになったとはいえ、自分の小さい頃を生で突きつけられるのは些か気恥ずかしかった。亮はやんちゃで物怖じしないキラキラとした瞳を自分に向けてきた少年を思い出し、苦笑した。

　心と体のリフレッシュがすむと、亮はハンモックから降りてうーんと大きな伸びをした。トレーニング再開。時間の楽しみ方は成長してから知ったが、体を鍛える楽しさは外遊びを含めれば幼少の頃からの筋金入りなのだ。
　また軋む扉を開け、外に出る。だいぶまともに閉まらなくなってるので何とかしなきゃな、と思いながら。
　すると、小さな影がサッと亮の足元を通り過ぎた。何事かと思わず亮は身構える。鋭い視線で影が走っていた方向に目を向けると……黒々した瞳の可愛らしいリスが、首を傾げてこちらを見つめていた。
「なんだ、リスか……こんな場所に客とは珍しい」
　亮は構えを解き、ふうと息をつく。そしてそうだと眉を上げると、亮は一旦小屋に戻った。
　すぐに出てきた亮の手には、パンの袋。亮はその袋を開け、しゃがみ込んだ。
「折角だから持て成してやろう。ほら」
　そう言うと亮はパンを小さくちぎり、リスの方にポンと放り投げてやる。すると木の陰に隠れていたリスがちょこまかと出てきて、パンを一心不乱に頬張り始めた。
　亮はその可愛らしい姿をのんびりと眺めていたが、ふといい事を思いついた。
（いくつかパンを投げて、徐々に俺がいる場所に誘導してみるか）
　上手くいけば自分の側まで来て、触らせてくれるかもしれない。
　自分の思いつきに、亮はその唇に笑みを乗せる。そしてパンを食べ終えたリスに向かって、またポンとパンを放った。今度は少しだけ自分に近付くくらいの距離で。

　５月の麗らかな昼下がり。
　亮のトレーニングは可愛らしい相手との頭脳戦になったが……それもまたいいのかもしれない。

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