風邪ひきの唄｜リアクション

風邪ひきの唄

◆たまには休息を

「……けほっ、こほっ」

　桜花寮の一室で、恵御納夏朝は――いや、夏夜は咳き込んでいた。夏朝は？　夏朝もまた、夏夜と同じく風邪で寝込んでいる。喉からくる咳の他に、高熱もあった。夏朝は先程、熱にうなされ、咳に苦しみながら、

「うーん、うーん……夏夜ちゃーん……」

　と言って眠ったばかりだ。夏夜は枕もとの携帯を見て、今日が休日、かつ、夏朝にバイトの予定のないことを確認する。そして、夏朝が眠り込む前のことを思い出しつつ、そろそろとベッドを這い出た。熱の籠った身体は重く、冷蔵庫に辿り着くのも大仕事だ。
　氷枕と飲み物を取り出してベッドに戻ろうとした夏夜は、足元に何かがまとわりつく感覚に下を見る。

「……おはぎ」

　そこには夏朝が内緒で買っている――眼がカメラのレンズのようになっている、すこしフシギな猫――おはぎの姿があった。おはぎはその両目で夏夜をじいい……と見つめていた。

「そうか、君もお腹が空いているのか」

　夏夜はそう言うと、おはぎの餌を出してやる。おはぎは与えられた餌を黙々と食べた。

「君は……けほっ、元気だね……ごほっ、ごほっ」

　ふらつく身体を家具や壁で支えながら、夏夜は空になった皿を片付けて、ベッドに戻る。横になった夏夜を、おはぎのレンズがじいい……と捉えていた。

「見て面白い物でもないよ」

　夏夜がしっしと手で払う動作をすると、おはぎはベッドから離れていく。夏夜は布団の中で身動ぎして、夏朝の日常に思いを馳せた。授業、それが終わると部活、あれば委員会、休日にはバイト、さらにはフツウの死守と、休みのない日々に夏朝は呆れる。
　――こう言ったら何だけど……日頃から無茶しすぎるからだよ、夏朝……。
　殊に最近の夏朝は、己が命を賭してでも敵に対処しようとする傾向が強まっている。それは夏夜も持つ悪癖であったが、性格の上で夏朝の方が無茶をし易いように思う。それが夏夜にとって心配の種だった。

　氷枕のひんやりとした感触が、夏夜の熱を冷やす。ひと眠りした頃には、もう正午を越えていた。

「……昼食を……こほっ」

　夏夜は再びベッドから這い出る。

　ところで。夏朝が住んでいるのは一人部屋だ。おはぎをこっそりと飼えているのも、それに助けられているところが無くもない。
　ではここに居る夏夜は誰であるのかと、彼女をよく知らない者に説明するのであれば、夏朝の別人格と――簡潔に言うのであればそうなるのであろう。
　最近は夏朝が夏夜のことを思いながら眠らなければ表に出てこないのだが、夏朝が夏夜の名を呼びながら眠ったことが原因か、今、夏夜は表に出てきている。

　そんな夏夜は、自分のために、かつ夏朝のために粥を作り始めた。純和風の、あっさりとしたそれを食べ終えると、夏夜は彼女と付けている交換日記を探すが、ふらりと視界が歪んだことにそれをやめる。その代わり、手元のメモに書きつけた。目覚めた夏朝のために。

『夏朝が命を賭す時、僕も己の意思で存在を賭そう』

　もう一枚、メモを取ってさらにこう書く。

『生きるも死ぬも諸共
　夏朝の選択は応援するし
　後悔はしない』

　此処で一度手を止め、その下にこう付け加えた。

『でも……できる事なら
　無茶はしないで、生延びて』

このページにイラストを設定する