本音？嘘？風邪引いちゃいました｜リアクション

本音？嘘？風邪引いちゃいました

　最初、御巫時子の風邪の症状は、「少し熱っぽいような……」くらいのものだった。
　だから、１日の授業を終えるのも、さほど苦ではなかった。
　少しだけ頭がふわふわとするのを感じながらも、放課後、時子は理科室へと歩を進める。
　五十嵐尚輝先生に会いに行くのは、時子の放課後の楽しみだ。
（これくらいなら、うつしてご迷惑をかけることもないでしょうし……）
　実際、浮き立つ心に足取りは軽く、常よりも幾らか早足にもなっていて、
（熱っぽい……ような気がするのも、風邪のせいか、少し急いで向かっているからかわからなくなりますね）
　なんて思ってしまうくらいに、《フツウの》風邪としての症状は軽い。
　理科室の前まで何の障害もなく辿り着いて、時子はそっと扉をノックする。
　扉１枚を隔てたくぐもった声が「どうぞ」と応じるのに、時子の心は華やいだ。
「先生、お邪魔しますね……」
「ああ、御巫さん。今日も一日お疲れさまです」
　コーヒーでも淹れましょうか？　と五十嵐先生が、時子の意を確認せんと軽く首を傾ける。
　胸に満ちる嬉しさのままに、時子は「はい」と笑顔の花を咲かせた。
　２人並んで、他愛ない会話を交わしながら、ビーカーに注がれたコーヒーを飲む。
　最後の一滴が喉を流れていってしまったのが、時子の胸を寂しくさせた。
「……尚輝先生」
「？　はい、何でしょう」
「その……もう少し、一緒に居ても良いですか……？」
　あまり長居すると、迷惑になってしまうかもしれない。
　頭の端でそうも思ったのに、素直な気持ちが喉から自然に溢れ出た。
「ええ、構いませんよ。僕は今から採点の仕事がありますが、ここに居たいならどうぞ」
「良かった……ありがとうございます」
　礼を言って、なら自分はその間、宿題でもしていようかと思う。
　立ち上がって、机の上の鞄へと手を伸ばそうとしたその時だ。
　――くらり。
　突然の眩暈に、視界が揺らいだ。
　軽く傾いだ身体を、五十嵐先生が慌てて支えてくれる。
「御巫さん、どうしましたか？」
「いえ……少し、ふらっとしてしまって。風邪が、急にひどくなったような……」
「それはいけませんね……どれ……」
　五十嵐先生の空いている方の手が、時子の額に触れた。
　ひやりとした感触が心地良かったけれど、五十嵐先生は分厚い前髪の向こう、少し難しいような顔になる。
「ああ、熱が高い。気分が悪くはないですか？」
「大丈夫です。先生の手が気持ち良くて、嬉しいくらい」
　想いは、するすると時子の唇から零れ落ちた。
「先生は優しくて、傍に居ると居心地が良くて、もっと一緒に居たくなるんです」
　だから、お弁当を作って来られるのも嬉しい。
　昼休みや放課後に、こうやって話ができるのが楽しい。
　照れ混じりの微笑をかんばせに乗せながらも、時子は歌うように音を紡いだ。
　五十嵐先生は、驚いたように、時子の声を耳に聞いている。
「学校でも学校の外でも会いたくなるんです。休みの日でも先生の事を思い出すぐらいに……だから、」
　――これからも、こうして一緒に居てもらえますか？
　五十嵐先生の目を真っ直ぐ見つめて、時子は真摯に訴えた。
　いつもは思っているだけのことがどんどん言葉の形を得てしまうのを、不思議に思いながら。
（もしかして、神魂の影響？）
　くらくらする頭でそこまで考えた時、ふと、声が降った。
「……御巫さんと過ごす時間は、僕にとっても楽しいものですよ」
　考え考え、といったふうな五十嵐先生の返事。
　それが優しい色を帯びたものだったのに、時子はほっと胸をあたためた。
　途端、また熱が上がったようになって、一瞬だけ意識が途切れる。
　御巫さん、と、五十嵐先生が慌てたような声を出した。
「すみません、大丈夫です……。少しだけ、休ませてもらっても良いですか……？」
　そのまま暫しとろとろとまどろめば、熱は、幾らか落ち着いたようだった。

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