特異点Ｎ？　渾沌祖霊島寝子島｜リアクション

特異点Ｎ？　渾沌祖霊島寝子島

◆第十節冥界の王

「おかしいな……彼女が出てこない」
「隠れているのかも？」
　廊下を忍び足で進みながら、優やカノンたちは囁き合う。あの少女、梢が未だ現れないことを訝しみつつ、警戒を強めた。
「……蝶に気をつけろ」
「ネルガルが付いてくれる……とはいえ、本当にこれで突破できるのか……？」
「さあね……信じるしかないよ」
　中折れ帽を深く被り直す彼の隣で、五月や骸、そして楓子が二人を元気づけた。
「大丈夫、私たちがしっかりサポートしますので」
「戦ってこい、存分にな」
「楓子も頑張るぞ。だいぶギリギリだが」

　大広間の扉を開けると、その中心に梢の姿があった。大剣を手に、どこか遠くを眺めたような目つきで立っている。
「いた……！」
「構えとけ！」
　梢は侵入者に気付くと、威厳を持った声を響かせた。
「……来ましたね」
　彼女は大剣を振り上げ、続ける。
「……素直に死を受け入れればいかがですか。死は安らかです。……どうせこの戦いの果に死ぬのですから……」
　その言葉を最後にふっと、梢は姿を消した。蝶が舞う。

「き、消えたぞ！　なんだあれは！？」
「アレが来る……！　頼むぜ、カノン！」
　狼狽える楓子の横、優はカノンの手を握った。カノンは絵筆を振り、場を幻想的な絵で彩って皆の姿を隠した。
「『幻想絵画』！！」

「よっしゃ！」
「油断は禁物ですー」
　カノンの絵が消えた後、再度現れる梢に骸がガッツポーズする。しかし、瞬きのうちに消えた彼女にまた緊張が走った。
「……カノン」
「……大丈夫だ、マスター」
　震える優の手に、カノンの手が重なる。死の一閃が、彼らを襲った。

「……これは」
　――が、そこに斃れる者は誰一人居らず。剣が虚しく空を切った。梢はこの光景を見て、呟く。
「あなた達は凡人ではなく英雄……私の奪うべき魂ではない、ということ、ですか……」
　　梢は剣を握り直し、その場の面々を見据えた。その瞳の焦点は先程と違い遠くではなく、確りとここにある。
「……名乗りましょう。私はタナトス。死にゆくものに終焉を届ける神」
　名乗り上げた彼女の前に、ネルガルが立ちはだかった。
「なるほど……御同輩というわけか」
　彼は中折れ帽の縁を上げ、彼女の顔を見る。
「……俺の中の何かが、お前に用があるらしい……」
「……奇遇ですね。私も……貴方とは戦ってみたかった」

　先に仕掛けたのは、ネルガル――否、庚だったのかもしれない――彼だった。蒼い神気の爪が、空間を裂く。
「絶対に勝てよ！」
　骸の声を背に、その戦いは熾烈を極めた。互いに同じ属性を持つ、正真正銘の神同士の戦い――地を砕く拳が神気を噴出させれば、彼女の剣が空を切り裂く。いつしか互いの顔には、笑みすら浮かぶほど――。しかしその戦いも、終焉が近づいていた。
「宝具……ッ！？」
「蒼穹詩篇・七門踏破――！！」
　全身全霊を込めた蒼き七撃が、彼女に叩き込まれる――。

「――お見事。得難い経験でした」
　がれきの中から大剣を支えにして、梢がよろよろと立ち上がった。
「さて……この先は、更に苦しい戦いになるでしょう。それでも戦うというのなら……世界の命、真なる敵より奪い返せばいい」
「それは、どういう……」
「私も円……いえ、縁があれば、手を貸しましょう」

「消えた……？」
　威圧感の薄れた大広間の中、カノンが呟いた。それに続いて優が口を開き、ぽつりぽつりと声が上がる。
「あの女神……冗談も言うんだな」
「あいつはそういう奴だ」
「おっ、ご苦労さん。相打ちかと思ったぜ」
　戻ってきた庚もそこに加わった。楓子はぶるぶると震えている。
「彼女の最後の言葉……円……うっ、夏なのに寒気が」
「大丈夫ですか？　五月とはいえ、冷えますからねー」
「大丈夫だ。しかし恐るべきものの気配を感じた。財布の中身が軽くなるような……さすが死の神……」
「死、か……」
　楓子は別の死を想像していたが、優の心を彼女に刈り取られた魂たちの存在がちくりと刺した。それを読み取ったのか、カノンは優の手を取る。
「女騎士はこの先にいるみたいだ、行こう」