心の翼、広げて｜リアクション

心の翼、広げて

　小学６年生の佐藤瀬莉は、いつものように星ヶ丘の自宅で眠りについたはずだった。
「あれ？　ここはどこなの……」　
　明らかに部屋の様子が変わっている。
　寝ぼけまなこでベッドから起き上がってみれば、なんだか床が遠い。
（体がいつもと違う？）
　鏡を見る。
　そこにいるのは30歳くらいの美人だった。
（え、だれ？　……！）
　一瞬わからなかったがすぐに自分だと気づいて、一発で目が覚めた。
「なんで大人になってるわけ……？」
　あたりを見回すと、見慣れた銀製の懐中時計があった。
　いつも腰からぶら下げているものだ。
　その下に大人サイズの女性ものの服が畳んである。
　不意に、この建物の構造が瀬莉の頭に浮かんだ。
（シャワーをあびよう）
　用意してあった着替えを手に取り、シャワー室へ向かう。
　パジャマを脱いで見れば、背も胸も腰も、すっかり大人になった自分の身体がそこにあった。
　シャワーを浴びる気持ちのいい感覚は、とても夢とは思えない。

　さっぱりした後で服を着替え、階段を降りていくと。
　チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ。
　規則正しい時計の音が聞こえてきた。
　そこはこじんまりとして、必要なものが綺麗に整えられた時計工房だった。
　道具の使いやすい配置も、古い時計のレイアウトも、細かいところまで瀬莉の好みに合っている。
　いつかこんなところで仕事をしたい、とずっと憧れていた時計工房……
　なんだか、まるで昨日までそこで仕事していたような感覚がある。

　周囲をきょろきょろ見回すと、壁に何か額縁があった。
　それは、フランス語で書かれたスイスの時計学校の卒業証書だった。
　名前の欄に「Seri Sato」とある。
「もしかしてこれは……20年後のあたし？　あたしは寝子島で時計工房を開いてる？」
　時計職人になるのは瀬莉の夢だった。
　自分の工房でなければ、こんなにも落ちついてこの場に馴染んではいないことだろう。
「夢を叶えたんだ……」
　それは同時に、自分が少なくとも20年後は生きているということでもあった。
　他の人には当たり前であっても、幼い頃大病を患った瀬莉にとっては、とてもありがたく嬉しいこと……
　思わずこぼれそうになった涙をぬぐうと、瀬莉は時計を手に取り、仕事を始めた。
　チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ、チッ。
　規則正しい時計の音が、瀬莉に安らぎを与えてくれた。
　
　

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