何色バスタイム｜リアクション

何色バスタイム

■醸すはラベンダー

「うん、うまく調節できた」

　ちゃぽん、という音と共に手首から先を湯船から取り出し、シーナ・キュクノスは鋼色の中の青を微か細めた。
　すでにきちんと畳まれた先程まで纏っていた衣服たち。
　桶に汲まれた湯をかけられると、洗い場の淡い照明と小さな天窓から差し込む月灯りが、細くしかししなやかな一糸まとわぬ彼の身体を星屑のように煌めかせる。
　再び湯を入れた桶が、今度は頭上に掲げられた。
　夜空色の髪がしっかりと水分を吸い込んだのを確認すれば、シーナは洗髪用の石鹸を手の中でしっかりと泡立て、耳上の羽を巻き込まないよう注意しながら髪全体へと泡を広げていった。

　次は、と……。
　髪からすっかりと泡を洗い流し、シーナはもう一度石鹸を手に取り泡を作り始める。
　今度は体用のとして少し多めに。慣れた手つきは、まるで小さな天使が泡と会話し撫でつけるかのようにして、滑らかな動きで首筋から耳の裏、腕へと泡たちを馴染ませた。
　そのまま胴体へ両手を動かせば、胸に咲く小さな桜色二つはすぐ白に隠れ。
　――　……もうちょっと、かな。この後夕ご飯作らなきゃだし、汚れはちゃんと落とさないと。
　泡を作り足して、ふくらはぎから下へ滑らせて残りを足先、指の間までしっかり包み込ませた。
　洗練されたようなどこか上品さすら醸し出す、タオルを使わないこの洗い方は兄たちから教わったもの。
　まだ純粋無垢で何も知らなかった頃、末弟たるシーナを可愛がっていた兄から『肌が傷つくからダメだよ』と言われたのを、素直に受け止め習慣化した結果である。

　最後に水を含ませた柔らかい布で、羽をしっかり拭っては一度ぱたりと動かして。
　汗や埃がすっかり落ちて、みずみずしさを取り戻した身体を湯船に沈ませれば、シーナのほんのり色づく唇から吐息が漏れた。

「ふー、今日の修行も大変だったなぁ」

　甘やかされ、大事に大事に綺麗にされてきた体は、今はもう所々擦り傷だらけ。
　それでもシーナにとって、それは学んでいく上で得る知識と同じで大切な過程のしるしだった。
　尊敬する人へ、誇れる自分に。
　ついさっきまで師匠がつかっていたこの湯の中で、今日の分の手ほどきを思い出し自然と水中で素振りをする。
　――　もっともっと、頑張らないと。
　上手くこなせているのか、上達しているのか、まだまだ不安だらけだけれど。
　『ただ逃げるしかできない自分が嫌だから』
　最初はただ強く、強くなりたかった。力があれば逃げずに済むと思ったから。
　――　……でも、今は　――
　素振りに揺れる湯面に、手本を見せる師の姿が浮かんだ。
　その姿へ、吸い込まれるようにしてシーナの顔が、体が湯の中に沈む。
　閉じた口から小さなあぶくが一つ、また一つと紡がれた名前と共に水面で弾けた。
　呟いた名が勇気と温かい想いを生み、心が満たされていくのを感じて。
　引き締めていた表情がふと緩み、その口元に弧を描いていた。
　さぱりっ、と状態起こせば、湯気の中に立ち姿の輪郭がくっきり浮かぶ。
　――　うん、明日も頑張ろう。
　教えてくれる師に応えられるように。

　しっかりと水気を拭った髪へと、花の香する香油を梳くようにして沁み込ませ手入れをしながら。
　ぱたと羽が動く。耳の奥に、オカリナの音色が聴こえた気がした。
　手持無沙汰なのか、お腹がすいたと暗に語っているのか、それとも想う自分の幻聴なのか。
　考えたらおかしくなって笑みがこぼれる。
　ふと、たたんだ服の横に立てかけてある細身の剣が視界に入った。
　師が自分の為に選んでくれた物。
　そっと手に取れば、大分手に馴染んできた感触。
　シーナは無意識にその剣を一度抱き締めるように、愛しそうに、両腕の中に閉じ込め瞳をつぶる。
　長い睫毛からポタリ、あたたかな雫が一滴落ちる音がした。