何色バスタイム｜リアクション

何色バスタイム

■クラリセージは呼び起こす

「ふう」

　星ヶ丘寮のとある部屋から、ここの部屋主にしては珍しくも少々熱の籠った声と吐息が同時に漏れた。
　海望む丘の部屋二階、アトリエ通称『魔女の座』。声はその内の浴室からどうやら響いたものである。
　旅鴉月詠はアトリエの清掃を一段落させたところだった。
　声に混ざった熱とは、感情からでは無く。単にこれだけ広いアトリエを動き回れば、汗ばむ程には体から熱が発せられるというもの。当然吐息からも。
　従者に任せきるのは主人として如何なものか、という概念の下月詠は基本的に己で出来る事は一人でやることにしている。料理、洗濯、掃除に至るまで。
　私所有されているメイド二人は、階下を領分とされている。仕える者からしたら物足りなさを感じているかもしれないが、そこは主人の意向をたてるのもメイドの務めであろう。

　それはさておき。
　ふむ、鍛えているのが少し利いてきたか、とまだ余裕のある体力と思考力を思えばふと指で額縁を作り、緋色の瞳でその中を覗き込むようにして浴室内を見渡す月詠。
　当初、機能美というものもあるので身体を洗う為の道具以外、余計な物は一切置かない様にしていたが。
　高級ホテル並みの設備と待遇は、どのようなインスピレーションが突如湧いても自由さを受け止めてくれる。
　ならば、思いついたことは実行してみるべし。
　『何か置きたい』
　その発想の赴くままに、月詠はまだお湯の張られていないピカピカなバスユニットに身を沈ませた。

　何を置こうか。
　実際に浸かった時に見える景色を体感した上で、思いついた物を空想という名のキャンバスに置いてみる。
　まず縁の両端に、水瓶を持つ人魚像を配置。
　――　いいかもしれない。
　足を延ばしくつろいだ態勢になった時、つまりもっとも視界の面積を取る先には……鏡とか。
　――　どんなフェミニストだ。
　却下。
　アイディアの潔い破り捨ても、自由な発想をより豊かにするのである。
　色彩の魔術師、そう謳われた芸術家がそういえば在ったことを思い出す。
　入浴姿を描いた絵画がちょうど多い。
　魔女の浴室に色彩の魔術師の絵。うむ、候補だろうか。

　視線を別の方向へ移動させた。
　すでに置かれている小物たちは、清潔かつ邪魔にならない洗練されたデザインの物ばかり。
　白で統一されたそれらはそのままで良いと頷けば、他に足すとしたら緑が欲しいところ。
　――　蔓状の造草で囲んでみるか。
　淡い陽射しを取り入れてくれる窓際には本物植物がやはり映えるだろうかと、邪魔にならなそうな小ぶりな観葉植物を思い浮かべる。
　ポトスライム、セネギネラ……このあたりがしっくり感じられた。
　
　――　今はこんなところかな。
　機能美は最低限保つ事も踏まえれば、これ以上のデザインは使い辛さが出てきそうゆえに、空想のキャンバスは一旦閉じられた。
　今度は本物のキャンバスの出番である。
　当然の如く浴室内にも持ち込んでいたスケッチブックと筆記具を、月詠はすちゃっと手に取った。
　たった今、配置してみた図を更にリアルに想像して描いてみるのだ。
　浴室内に、シャッ、シャッ、切れの良い音がし始める。
　実際に置くかもしれないし置かないかもしれない。
　置いてみたら描いた以上に良い空間を演出するかもしれない。
　全ては月詠自身の気分赴くままに、『魔女の座』は日々自由を謳歌するのである。