Midnight is mine｜リアクション

Midnight is mine

■妥協で漫画を書いたとて、明日食う飯がうまいかよ
　工藤来夢は死んでいた。
　いや、死んでは居ないがほぼ死んでいた。
「締め切りまで１８時間。ペン入れ、背景、共に残りはこの通りに……」
　ホワイトボードへ順番通りに貼り付けた原稿用紙。その端から端までを眺め、腕組みをする。
　その横では、アシスタントの男たちがぼろけた姿で来夢の顔を見ていた。
「みんな、聞いてちょうだい」
　静寂一秒、咳払い一回。
「私は漫画家として原稿を落としたことはない。スケジューリングにおいては出来る子で通っていたわ」
「いましたっけ？」
「シャラップ！　アンドダイ！」
　反抗的なアシスタントを処刑（定規デコピンの刑）すると、来夢は椅子の上に立って振り返った。
「今回は、だめかもしれないわ！」
「だめなんですか！？」
「待て、『かもしれない』だ！　まだ諦めてないぞ！」

　ビニール袋をぶら下げた男が扉を開け、がたがたと事務所へ飛び込んでくる。
　袋の中身は半分がドリンクタイプのカフェイン剤。もう半分がパンとおにぎりである。
　ふと見たカレンダーボードにはマーカーで矢印が引かれている。
　ほんの二日だけ設定されていた『取材』の文字が、途中からから三日に延びていた。
「その次の日に締め切りがあることを失念していたんだ……」
「違うわ」
　執念でペンを走らせながら、来夢はギラリと目を光らせた。
「見えないことにしていたのよ！」
「見えないこと……！？」
　ペンを口にくわえるほどの勢いでデスクにかじりつく。
　インクが服にはじけるのも構わずに。
「締め切りを気にしていては取材に集中できない。取材に集中すればもっといいものができる。けれどそれは、締め切りの忘却という危険をあわせもった諸刃の剣。分かっている、分かっていたのよ……！」
「振り上げすぎたんだなあ、剣を……」

　人間は追い詰められるとテンションが上がるという。
　同時に、深夜になるとテンションが上がるともいう。
　その二つを併せ持った締め切り前の漫画家は、軽く人類の感性を超越するともいう。
　一秒を永遠のように引き延ばし、イマジネーションは常にスパーク状態。鋭く感性を働かせ、まるで予知能力者のように先を見て動く。
　手の動きはマシーンの如く正確に、そして素早く動く。妥協と信念がせめぎ合い、執念がまとわりつく、それはそれは凄まじい仕事ぶりを発揮するのだ。

　やがて日が傾き、朝が来る。
　編集者の男がお疲れ様でしたと言って原稿入れのバッグを抱えて出て行く。
　事務所に残ったのは静寂と、たちこめた執念の残滓と、ほとんど死んでいる漫画家とそのアシスタントたちである。
「今日も、生き残ったわね」
　インスタントコーヒーを片手に、来夢は窓からさす朝日を見つめた。
　カップをデスクに置き、少しだけうずくまる。
　飲みかけのコーヒーを残したまま、来夢は深い眠りに沈んでいった。

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