牡丹畑でつかまえて｜リアクション

牡丹畑でつかまえて

旧市街の道のりをふらつきながら歩く、一人の少女の不審な姿があった。
彼女の名前は朝鳥さゆる。先程ねこでんで島外から帰ってきたばかりであった。
行きずりの誰かとの自傷行為のような情事に溺れ、空っぽの身体を引きずっての帰島。
実年齢より六、七歳上に見える、年齢不相応の美貌、そしてその服装も相まってまるで出勤途中で仕事に嫌気がさして、会社をサボることにしたОＬのようにしか見えない。
さゆるはスプリングコートのポケットの中にぶっきらぼうに手を突っ込んだ。その長い指先に硬くてひんやりした感触が突き刺さる。……あの部屋の鍵だ。だがさゆるは自宅にも、あの部屋にも帰るつもりはなかった。否、帰れなかった。
心なんてとっくに摩耗しているはずなのに、まだ疼痛のような痛みがじりじりとひりついている。その痛みに背を向けて、さゆるはふらふらと歩き続けた。……そうするほかなかったので。
その道中、さゆるは男女のカップルとすれ違った。さゆるを見ると、女性のほうが驚いたような声音で声をかけてきた。
「あの、大丈夫ですか？」
「おい杏子、いきなり失礼だろ」
男性のほうが女性をいさめ、にっこりと笑いかけてきた。
「すみません、変なこと言って……って、え？」
笑っていた男性の顔が途端に驚愕に満ちたものになる。
「顔色わるいですよ？　本当に大丈夫ですか？」
「大丈夫……」
さゆるの声には覇気がなかった。二人は心底心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫……」
再びつぶやいたが、やはり二人は心配そうな面持ちを消そうとはしなかった。
「ねえ新太、救急車呼んだほうがいいんじゃない？」
「うーん……でも本人は大丈夫だと言ってるし……」
二人がどうしていいのかおろおろしているのを見かねて、さゆるはもう一度つぶやいた。
「大丈夫」
今度はなんとか作り物の笑顔を貼り付けて。すると二人はようやく納得したようで、しぶしぶ立ち去って行った。
（大丈夫、か……）
実のところ、さゆるは二人の質問に答えて大丈夫と口にしたわけではなかった。
大丈夫という言葉の意味を思い出すのに時間がかかり、しばらく考え込んでいたのだ。
体調は問題ない。しかし、自分の心は全然大丈夫じゃなかった。ぼろ雑巾のように擦り切れて、さゆるはへとへとになっていた。だけど歩かなくてはならない。歩くほか、自分に道は残されていないから。さゆるは重い足取りで一歩一歩必死に歩を進めていた。
そして我に返ったとき、さゆるは牡丹畑に佇んでいた。
そういえば今は牡丹のシーズンだったな、とぼんやり思う。
――なぜこんなところへ……？
そんなことを思いながら、虚ろな瞳に牡丹の花を映していく。
紅牡丹、白牡丹……他にも鮮やかな色彩の牡丹の花が一面に広がっている。しかしさゆるが見つめているのは花ではなくて……今なお行方不明の、最愛の人のことだった。
あの人がいなければどんな世界も色づいて見えない。
牡丹の色鮮やかな景色もさゆるにはモノクロにしか映っていなかった。
（どこにいるの）
問いかけても、返事はなく。
こうべを巡らせても、どこにもいなくて。
手をのばしても、届かなくて。
世界でひとりぼっちのまま、こんな生活を続けなければならないのか。
そう思うと絶望的な気持ちになった。
いや、絶望という言葉では言い足りない。だけど他に言葉が見つからなかった。
……死にたい、と何度も思った。だけど、最愛の人の行方がわからないままこの世を去るわけにはいかなかった。
もしもあの人が帰ってきたら？
もしもその時、あたしが死んでいたら？
そう考えると死ぬに死ねなかった。
もちろん、全部仮定の話。でもその「もしも」が現実になったらと思うと、さゆるは恐かった。
死にたいけど、死ねない。
生きたくないけど、生きねばならない。
こんな矛盾を抱えてさゆるは生きていかなければならなかった。
矛盾に満ちた世界で、矛盾を抱えて生きていく。この、ぼろ雑巾のような心のままで。
気付けば枯れ切っていたはずの涙が一粒、二粒と零れ落ちて、さゆるの白い頬をつたっていた。
（不思議だ……まだ流す涙が残っていたなんて……）
溢れる激情とは裏腹に頭のなかはやけに冷静になっていた。声も立てず、溢れる涙を流れるままに任せ、ふとつぶやく。
「――なにやってるのかしらね、こんなところで」
こんな世界で。
ワタシハナニヲヤッテイル……？
答えはまだ、見つかりそうにない。
地面に落ちた雫が音もなく割れるのを見つめながら、さゆるはぐっと拳を握りしめた。

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牡丹畑でつかまえて

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