春時雨の旧市街｜リアクション

春時雨の旧市街

　休日の午前中は、伊藤家の剣道場が賑わう時間のひとつだ。
　門下生の小中学生が竹刀をぶつけ合う元気な声が、道場の外まで流れてくる。

　子供たちを監督するのは、道場師範の孫娘、伊藤佳奈だ。
　寝子高校に通う２年生で、柔和な面立ちの青い両目には芯の強い光が宿っている。
　その日、佳奈はいつものように門下生の子供たちの稽古を終えたところだった。

「皆、終礼の時間だよ！」
　佳奈の声が道場に響くと、子供たちが一斉に息を弾ませて集まってきた。
「着座、黙想！」
　襟を正した佳奈の表情が、女子高生から剣士のそれへと変わる。
　場内は、水をうったように静かになった。

「正面に礼、お互いに礼！　……はーい、皆お疲れ様！」
「師範代、ありがとうございました！」
「佳奈姉ちゃん、お疲れ様ー！」
　礼を終え、柔和な笑みを浮かべる佳奈に、門下生の子供たちが口々に挨拶する。
　稽古が終われば、彼らにとって佳奈は年上の姉のような存在なのだ。
　無論それは佳奈にとっても同じことで、子供たちの名前をひとりひとり呼んで見送っていく。

（さてと、あたしもそろそろ昼御飯に――）
　戸締りを確認し、佳奈が自宅の部屋に足を向けた、その時だった。

　ゴロゴロゴロッ――

　大岩が転げ落ちるような、不穏な稲妻が聞こえてきた。
「えっ？　まさか雨！？」
　佳奈が縁側のガラス戸から外を覗くと、外は黒雲で真っ暗だった。
　間を置かず、屋根からバタバタと派手な雨音が聞こえてくる。
　後ろを振り返ると、子供たちが不安そうに更衣室から出てきた。

「皆、傘は持ってきてる？」
　子供たちは黙って首を横に振るばかり。
　時雨は嵐の様相を呈しつつあり、歩いて帰るのは危険だ。
「じゃ、にわか雨が行っちゃうまで、お話でもしようか」

　車座に座った佳奈と子供たちは、最近の話に花を咲かせた。
　学校の勉強、恋の悩み、流行のネタ、剣道の技術論……
　お互い短くない付き合いだから、話のネタには事欠かない。

　しばらくして、場の話題は佳奈個人に及んだ。
「たしか佳奈姉ちゃん、今年から高２だろ？　成長してないよな～」
　ジャガイモのようなゴツゴツ顔の少年が、佳奈の胸を見てからかうように笑う。
「ちょっ……ほっといてよ～」
　佳奈の顔がトマトのように真っ赤になる。

「ちょっと、そういうのは『せくはら』よ！」
「男子の皆さーん、稽古中に女子のことチラチラ見ないで下さーい」
　どうやら少年の一言は佳奈以外も敵に回したらしく、道場の女子が口々に非難の声を上げた。
　刺すような言葉に、その場の男子達もいきり立つ。
「なんだとコラ！」
「うっせぇブス！」
　一触即発の空気が漂い、ついにジャガイモ顔の少年が竹刀を手に立ち上がった。
「やんのかテメェ！」
　応じるように、女子も竹刀に手を伸ばす。
「喧嘩売ったのはそっちでしょ！」
「待って待って！　あたしの胸の事で喧嘩しないで」
　佳奈の仲裁で竹刀を下ろすも、二人はそっぽを向いて口をきこうとしない。

　そこに、騒ぎを静観していたお下げの少女がぽつりと呟いた。
「胸は大人になっても成長するらしいですよ」
　少女は妙に悟ったような口調で言う。
「鍛えれば伸びる。剣道と同じではないでしょうか」
「確かに……そうかな。ごめん姉ちゃん」
　諭された少年は、佳奈に頭を下げた。
「いいっていいって！　ほら、雨も止んだみたいだよ？」
　外を指さす佳奈の顔を、太陽が照らしていた。

　こうして佳奈は子供たちを送り出すと、大きく伸びをして、家へと戻っていった。
「お腹すいた～。着替えてご飯にしようっと」
　少女剣士の、つかの間の休息である。

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