――休憩タイム、１回目！

　美しく散った花椿 涼太郎の身体を、犬杜 一閃が抱き上げる。
　野菜原 ユウが、一閃に代わり扉を開けようとした、その時。
　――がらがらがらっ。
　廊下側から扉が開いて、顔を出した新田 亮が「うわっ」という顔をした。
　扉を開けた途端に全身を襲った、異様な熱気に驚いたのである。
（な、何だこの部屋……）
　季節外れの大量のストーブ、中央に堂々と鎮座するこたつ。
　そして、何故かどてらを羽織った人々――亮は悟った。これは、がまん大会だ。
（か、関わりたくない……）
　認識した瞬間に、切実にそう願わずにはいられなかった。
　勝負事は嫌いではないが、がまん大会は、亮から見れば不毛な戦いだ。
　それに興じるほど物好きにはなれない、なれないのだが、
「っ、おい！　大丈夫か！？」
　一閃の腕の中にくたりとした涼太郎の姿を見留めて、亮は思わず声を上げた。
　いかにも王子様然とした青年が姫抱きにされているとはこれ如何に、とか思っている場合ではない。
「色々言いたいことはあるが……先ずは、保健室だな」
「いや、保健室より隣の教室の方が近いからさ」
　ユウが言う。一閃がユウの言葉通りの部屋へ向かう横、亮は七夜 あおいに尋ねた。
「空き教室なんかでまともな救護ができるのか？」
「えっと、それが大丈夫なの。空調が効いてるし、必要な物は何でも揃ってるから」
「何でも？　どういうことだ？　というかそもそも、無断で教室を使うのは良く無いだろ」
　ええと、とあおいが困ったように眉を下げる。
　２人の間に、犬杜 初が割って入った。
「理事長の許可が出てるのっ！　で、必要な物は全部用意してくれたってわけだから」
「理事長が？」
　訝しむような声が口を突いたが、
（確かに理事長なら、ストーブでもこたつでもどてらでも魔法みたいに用意できるのかもな……）
　と、亮は思い直して一つ頷いた。この事態に納得できたかは、全く別の話だが。
（一体、こんな対戦の何が楽しくて許可したんだ？）
　ひょっとしてドＳ気質なのだろうか……という考えが頭を掠める。
　亮は、ＳＭの女王様のような衣装を纏って鞭を振るう桜栄 あずさ理事長を想像した。
　そして、そのイメージ図が正しいかは一旦脇に置いておくとして、
（呆れるような話だが……仕方ない、俺が救護する側として動くか）
　という具合で、このイベントに陰ながら関わる覚悟を胸に決める亮。

「できれば関わりたくないが……死人が出ても困るからな」
　救護が必要な人間が出そうな――というか既に出てしまっている事態は、見過ごせない。
　亮は、そこまで冷徹にはなれない男なのである。
　となれば、第一の被害者（？）たる涼太郎のことを放ってはおかれない。
　亮はあおいと初と一緒に、隣の教室――休憩室へと足を踏み入れた。
「……ひんやりしてるな」
　その上、休憩室は、本当に何でも揃っているような様相だ。
　大量のスポーツドリンク、万全の状態で保存された氷やアイスクリーム達。
　扇風機やらうちわやらも用意されている。
　一閃が涼太郎のシャツを緩めている傍らへ、亮はうちわを手に取って、急ぎ歩み寄った。
「とにかく、身体を冷やした方がいい。手が足りないでしょう」
「ああ、助かる」
　うちわで涼太郎を煽いでやっているところに、ユウが濡らしたタオルを手に戻ってくる。
　じきに、涼太郎は涼やかな眼を、何事もなかったかのようにぱちりと開いた。
「……あれ？　鍋は？」
「鍋はいいから、とりあえずこれを飲め」
　一閃に支えられながら身を起こして、亮の手からスポーツドリンクを受け取る涼太郎。
　清涼飲料水のＣＭの如き爽やかさでそれをくぴくぴと飲んだ後で、
「もしかして、僕は華麗に敗北してしまったのかな？」
　なんて、涼太郎がケロッとして言うものだから、その場に居合わせた全員が息を吐いた。
「本当に無事で良かった、涼太郎君」
「全く、あんまり心配させないでよね」
　あおいがほっと胸の前で手を合わせ、初は涼太郎の前へとずいと手を出す。
「おや？　犬杜くん、寝子島の天使との握手をご所望なのかい？」
「そうじゃなくて、ブロマイド、貰ってあげてもいいってこと。うい達の勝ちだし」
　駄菓子屋の手伝いの方は何でも屋『いぬもり』によろしくね、と初は笑った。その時だ。
「……この部屋、やけに涼しいのね」
　休憩室の扉を開けて、きょろきょろと部屋の中を見渡すのは大天使 天吏。
　その後ろから、サキリ・デイジーカッターと志波 武道も顔を出した。
「あれ？　ヒーローくん？」
「ああ、こんにちは、志波先輩。どうしてここに？」
「いや、部活の後に生徒会の方にも顔出してね？　ヨシ、帰ろうかなーって時に不穏な気配を感ジチャッテ☆」
　亮に問われた武道が語るところによると、それは隣の、がまん大会部屋からのものだったらしい。
　サキリが、にこりとして言葉を継いだ。
「僕も、志波先輩と似たようなものだよ。それで、隣から声が聞こえたものだから、こっちに」
「そうそう、運命的にバッタリ出会ってね！　で、何してたのかな？」
　武道の問いを受けて、ユウが、理事長公認のがまん大会をしていたところだと説明する。
　ふむ、と、武道が顎に手を宛がった。
「成る程、理事長公認なら問題ないな……うん、こゆのは人数多い方がいいだろうし俺も参加シマッス！」
　しゅびっ！　と武道が手を挙げる横で、天吏は初にそっと話し掛ける。
「本当に……転校生なのね、初ちゃん」
「うん、そうよ。なんていうかまあ、よろしく」
　面映ゆげに応じる初へと、天吏は柔らかく微笑み掛けた。
「ふふ、こちらこそよろしくね。それで……がまん大会というのは、一体、何をすればいいのかしら」
　尋ねた天吏は、きょとん、という顔をしている。
　演技ではなく、正真正銘の『きょとん』だ。
　そんな天吏を始めとする一行へと、初はどこか嬉しげに自慢げに、がまん大会のルールを解説してみせる。
（人間は自分で体温を変化させられるから、ある程度なら耐えられるわね……）
　なんとなく理解できたと頷いて、天吏は初に「ありがとう」と優しく零した。
　姉に褒められた幼い妹のように、初がくすぐったげに笑う。
「ね、折角だから一緒にやらない？　うい、負けないから」
「そうね、初ちゃんがそう言うのなら」
「じゃあ、決まりね。ねえ、あんたも参加するでしょう？」
　初の眼差しが、サキリへと移った。
　緩く、口元に弧を描くサキリ。
「構わないよ。但し、やるからには全力で挑むから覚悟しておいてくれ」
　どてらを羽織ったままの初を見るに、どうやらサキリ達が挑む戦いは２回戦目以降だ。
（体への負担は……これだけ元気なら大丈夫、かな）
　そんなふうに初の身体を案じるサキリの隣で、武道は戦慄していた。
「脱衣厳禁……だと……」
　居合わせたほぼ全員の視線が、武道に集まる。
　その目はいずれも、「だってがまん大会だし」とあまりにも雄弁に語っていた。
「って、当たり前ダヨネ！　テヘ！」
　武道のおちゃめをさらりと流して、サキリが２回戦のメンバーを見回す。
「耐えるだけじゃ面白くないし、勝者へ御褒美を用意するのはどうかな」
「御褒美？」
　天吏に聞き返されて、サキリは頷いた。
「敗者達がお洒落なアイス屋で奢り、というのはどう？」
「乗ったあ！」
　真っ先に声を上げたのは初で、武道も、気を取り直して「ふっふっふ」と意味深に笑う。
「俺はがまん大会経験者だからね。なかなかにきっついものだけど……」

「だがしかし……負けたくないよね☆」
　盛り上がる周囲の声を耳に、サキリは密やかに初の方を見遣った。
（人間は、共に苦難を乗り越えると連帯感が生まれる）
　だからサキリは、このクレイジーなゲームに幾らかの期待を寄せずにはいられないのだ。
（初が忍耐力や、他人と素直に打ち解けられる心を得られれば嬉しいんだけどね）
　クローネの呪縛が弱まればいいというサキリの願いも乗せて、今、戦いの幕が開く――！