春色タペストリー｜リアクション

春色タペストリー

　呉井陽太は女性に声をかけ、現在、彼女と小さなテーブルを分け合って相席している。
　勢いで声をかけてしまったものの、感謝されたのでそれはいい。だが、
　――怪しいヤツって思われないといいんだけど……。
　という懸念もあった。
　なにせ相手は若い女性だ。プラチナブロンドの髪が美しく、近くで見れば目鼻立ちもどきっとするほど綺麗である。だけど、相手がお爺さんでもおなじことをしたという自信が陽太にはある。ナンパ目的だとか思われたくなかった。
　とはいえ、無言のままというのも、ちょっと居心地が悪い。
　彼女はグランデサイズのマグカップを、両手で抱えるようにしてコーヒーを飲んでいる。やや背を丸めているが、それでも、頭半分くらい陽太よりは背が高そうだ。
　ええい、ままよ、と陽太は話しかけた。
「あの、見た感じ、まだこっちに来たばかりな感じがしましたけど……ご旅行、とか？」
　彼女はカップを置いて、
「……いえ、引っ越してきました」
「それはいいですね……寝子島の住民として歓迎しますよ」
　言ってから、もうちょっと気の効いたこと言えないのかなぁ、と自分に溜息した陽太であるが、それを聞いて彼女が、
「……ありがとうございます」
　とわずかに笑ったので、なんだか嬉しくなった。
「あの、教えてください」
　次に切り出したのは彼女のほうだった。
「役所の場所……」
「ああ、転居の手続きとか」
　彼女の優しそうな笑顔に釣られてか、思わず陽太は、自分でも驚くようなことを口にしたのだった。
「もしよければ、向かいたい場所まで案内しましょーか？」

　陽太は彼女と並んで歩いている。
　彼女はナターシャ・カンディンスキーという名前らしい。
「ちょっとね、地元の人じゃないとわかりにくいんですよ。ここの小道を入って……」
　話しながら、ぽつぽつとナターシャのことがわかってきた。
　貿易の仕事をしているということ。
　家族はないということ。
　数ヶ月滞在する予定だということ、など。
　あと、好きな食べ物は焼きビーフンらしい。ビーフンを何袋も買って常備しているという話だった。
「今日はお役所、休みですけど、この木を目印にすればすぐ着けると思いますよ」
　陽太は足を止めて、建物の前に立つ樹を見上げた。花が咲いている。
「この花、知ってますか？」
　首を振る彼女に簡単ながら説明をした。
　梅の木だった。緋色の花を満開に付けている。
「梅の香りって好きなんだよなぁ……爽やかで、ふんわり柔らかい香りで……」
　一般的には春と言えば桜となるだろう。陽太も桜は好きだが、より好むのは梅のほうだ。
　――香りというと香川博士を思い出しちゃうけど……あの人は今どうしてるんだろう。
　そんな思がふと胸をよぎった。
　そのとき強い風が吹いた。きゃ、と小さな声を上げたナターシャの束ねていた髪が解けた。
　長く美しい髪。春の陽差しのような色の髪が波打つ。
　風がやんだとき、ナターシャは前髪をかきあげて微笑んだ。
「ありがとう、陽太さん」
　そうして彼女は、手を梅の木に当てて言ったのである。
「私も、好きになりました……梅の花」