お泊まりナイト｜リアクション

お泊まりナイト

■地球周回軌道上をなぞるような永遠を
　愛の形について、一度語っておかねばなるまい。
「さて、ご飯を作るので待っていてくださいね」
　北条冬華は立ち上がり、手早くエプロンを首にかけた。
　腰のひもを結びながらキッチンへゆく。
　キッチンといえども、ほんの二部屋しかない小さなアパートである。
　ガスコンロのスイッチをひねるカチリという音がして、ほどなく鉄板に油をひく音と香りが広がっていく。
　桜月は風景と、音と、香りと、そして絨毯の手触りを感じながらぼんやりと視界を巡らせてみた。
　飾り気の無い壁に、質素な電灯カバー。
　天井の疑似木目模様ばかりが浮いているようだった。
　家具類を見回してみても、質素なものばかりだ。一人暮らしをする学生にしては奇妙なほど遊びの無い部屋だった。
　部屋の家具がまるごとセットで売られていたかのような、置いてあったものをそのまま汚さずに使っているような部屋である。
　なにぶん若い感性だ。無節操で乱雑になりがちなものだが。
　いや、冬華にはこんな部屋が似合うのかもしれない。白い壁。白い棚。白いベッドに、白いカーテン。とてもよく似合う。
　鰹出汁の香りがする。
　汁物を作っているのか、ふつふつと湯の沸く音もした。
　コンロに向かう冬華の後ろ姿。沈黙を保つには、重力の軽すぎる空間だ。
　月はこの沈黙を破るためにこそ、声をかけることにした。
「ご両親は？」
「はい、なんですか」
　こんなにも近いのに声は届かなかったようで、冬華は耳にかかった髪をかきあげながら振り返った。
「ご両親はどうしてるの？　一人暮らしは、心配されない？」
「……そういえば、話していませんでしたね」
　冬華はコンロに向き直った。鍋に具材を流し込みながら語る。表情は、こちらからは見えなかった。
「他界しました。中学の時に事故で」
「そう、なんだ……」
　なにか言うべきだろうか。彼女には今更なことだろうか。追求を嫌がるだろうか。
　月は結局、自分の両膝を抱いて座ることだけをした。
　冬華の顔は見えない。
　鍋を三度ほどかき回して、コンロを止める。
　質素なお椀を二セット並べて、トレーに乗せて盛っていく。
「私も事故にあったのですけれど、幸運にも助かりまして」
　声に感情の波は無かった。
　その凪ぎが彼女の壁のように思えて、月は自らを抱く手を強めた。
　たとえば。
　たとえばこんなのはどうだろう。
　冬華が両親のない寂しさを打ち明けて、自分が彼女を抱いてなぐさめるというのは。
　想像してみて、違和感に震えそうになった。
　おかしな想像だ。抱いて慰められるのは、むしろ自分の側だというのに。
　冬華はそんなことを望んではいないように思った。
　いや、けれどどうだろう。
　望まれないことは、侵してはならないことだろうか。
　自らを抱く手がほどかれる。
「冬華」
「待ってくださいね、そろそろご飯ができますか――」
　振り返りかけた彼女の肩に腕を回して、月はきつく冬華の身体を抱いた。
　自らの手を重ねる冬華。
　どんな表情をしているのか、わからない。
　望んでいるのか、拒んでいるのか。
「大好き」
　他に言うべきことがあったろうか。
　あったと思う。
　もっと自分が賢くて、豊かで、大人びていたのならきっと、もっと気の利いたことを言ったのかも知れない。
　……いや、永遠に、これが自分の全部なのかもしれないか。
「月さん」
　冬華は月の腕の中で振り返り、そしてきつく抱き返した。

　愛の形について、一度語っておかねばならない。
　されど語るべき舌を持たぬなら。
　腕と心臓の暖かさで伝えるしか無い。
　いや、それが愛の全部なのかもしれないか。

　口づけを介して、月はもう一度だけ言った。
「大好き」
　これが二人の、全部なのかもしれない。

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