スポットライトを脇役に！｜リアクション

スポットライトを脇役に！

　突然、滝原カノンは、見知らぬ住宅街に放り出された。一体いつの間に、と戸惑う中、足がひとりでに動き出す。一歩、一歩、進むたびに、地面に埋没してしまいそうなほど、足取りが重い。なぜ身体が勝手に動くのか、ここは一体どこなのか山ほど浮かぶ疑問を解決しようにも、視線は鉛の足に釘付けだ。

（なんか……これ、なんか……すごくイヤだよ……）

　ランドセルとは別の、不安感、不快感、憂鬱感――幼いカノンには表現しようのない負の感情が、全身にずっしりと伸し掛かった。

「つまんないな」

　ふと自らの口からこぼれ落ちた言葉に、カノンは驚く。

（おれじゃない）

　自覚した途端、自分ではない誰かの感情が、先程までより鮮明にカノンの中に流れ込んできた。

『毎日毎日勉強の繰り返し。でも何かやりたいことがあるわけじゃない。なんでもいいのにな。……何か楽しいこと、ないかな』

　つまらないのは、カノンだって嫌だ。いつまでもこんな感覚を強引に共有させられたくはない。けれど今のカノンには指ひとつ自由に動かすことはできないし、彼は一方的に不満を垂れ流すくせに、カノンの考えはまったく受け取ってくれなかった。どうしたらいいだろうと悩んでいると、ふと、無邪気な笑い声が聞こえてきた。カノンの意思とは無関係に、少年は顔を上げる。

（おれだ！）

　目の前にいるカノンは友人たちと、カプセルギアを操作してドッジボールを楽しんでいた。少年は、おそらく無意識のうちに足を止めて、器用にカプセルギアを操作するカノンや、すばしっこく動き回る小型のロボットを眺めている。

「あ」

　背後からカノンの焦るような声が聞こえた次の瞬間、少年のそばに小さなボールが転がってくる。一瞬の思案の後、少年は恐る恐るボールを拾う。それとほぼ同時に、カノンが少年の元に駆け寄ってきた。

「拾ってくれてありがとう！」

　体躯に似合わない、少年らしい笑顔を浮かべたカノンを見て、少年は虚を突かれたように動きを止める。しかしすぐに恐る恐る口を開いた。

「それ楽しい……ですか？」

　今度はカノンがきょとんとして、動きを止める番だった。けれど少年が声を掛けたことに、後悔するよりも早く、カノンは「うん！楽しいよ！」とクシャクシャと笑ってみせた。少年の心臓が大きく高鳴る。少年はカノンの華やかな笑顔に気圧されながらも、懸命に平静を装い、ボールを手渡した。

「そう、ですか……」

　お礼を言って踵を返したカノンを背を見据えながら、少年はいまだに騒がしい胸にそっと手を添える。

『……あの人、大人なのに、子どもみたい……でも』

　少年は、キュッと唇を結ぶと、勢いよく駆け出した。向かう先は自宅。帰宅後は、ただいまと言うなり部屋に飛び込み、貯金箱をひっくり返す。溜め込んだ小銭をかき集めながら、頭の中で計算をする。足りる。確信した途端、少年の胸に熱がこもる。その熱に身を任せ、少年は小銭を握りしめたまま、家を飛び出した。あれほど重たかった足が、今では羽のように軽い。カノンは少年の心と身体の変化を、素直に喜び、そして素直に応援した。

（頑張れ……！）

　カノンの少年はぐんぐん掛けていく。そして商店街のおもちゃ屋の前に辿り着いた途端、ピタリと足を止めた。見据える先には、カプセルギアのガチャガチャ。何度も何度もガチャガチャで当たるおもちゃを確認してから、震える手で小銭を投入口に宛てがった。チャリンと響く音に胸を高鳴らせ、少年はガチャガチャのレバーに手をかける。

「……えいっ！」

　次の瞬間、カノンは乱れた布団の上に転がっていた。

（あれは……夢？　にしてはなんだかリアルだったな）

　手の平を開いて見れば、じんわりと汗が滲んでいる。覚めやらぬ興奮も胸の中に、たしかに残っている。しかし鏡を覗いてみても、見慣れたカノンが映るだけ。カノンは首を傾げながら、のそのそと登校の支度を始める。

（やっぱり夢だったのかな……でも）

「あの子が、楽しいって思ってくれたら嬉しいな……」

　声を出してみることで、カノンは現実を実感する。夢の中での感覚と、今の感覚。どちらも大して変わりがないという不思議な事実を、カノンは穏やかに受け止めた。

「あ、マズイ。急がないと遅刻しちゃう～！」

　カノンは慌てて家を飛び出し、学校に向かう。

（なんとか、間に合った……）

　校門をくぐって、ほっと一息つくカノンの10mほど後ろには、タイラ・トラントゥールの姿がある。その足取りは、夢の中の少年と見紛うほど重く、顔色も入道雲のように白く血の気が引いていた。

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