スポットライトを脇役に！｜リアクション

スポットライトを脇役に！

　しんと静まり返った居間で、弥逢琴花は母・杏理と向かい合っていた。姉妹の中で、最も母に似ていると称された琴花だが、当人からしてみれば容姿はともかく、内面はまるで似ていない。娘が大切な話があるからと馳せ参じても、ニコリともせず芯まで冷えた視線を向けるばかりだ。

「家を捨てた娘が、今更何のようですか」
「いいえ、母様。甘味処は私が継ぎます。……そもそもうちが長子やさかい、正当ですやろ？　遊琳はんは好きにしたらよろしおす」

　キッパリと言い放つ琴花の真意を見極めるように、杏理はすぅっと目を細める。幼い頃は、この眼が恐ろしくてたまらなかった。今でも平常心ではいられない。しかし琴花は逃げるわけにはいかない。琴花は三つ指をついて頭を下げ、身を低くしたまま、顔だけ上げて、しっかりと母を見据えた。

（幼い頃のうちの無邪気な我儘がすべて壊した。そやから、うちが元に戻さなあかん。うちが……）

　母がわずかに動揺を見せる。その表情が、なぜか幼い頃の弟――弥逢遊琳と重なった。琴花の胸が軋む。

（何で、あの頃、何とも思わんかったのかも分からん）

　障子の奥で背中を丸めひっそりと涙を流す姿。幼い顔にくっきりと刻まれた涙の跡。嫌や嫌やと縋る哀切を極めた声。今では思い出すだけで、背筋が凍る。

（それでも、あの時のうちは、反応がただただ面白うて……）

　琴花は両親が見て見ぬふりをするのをいいことに、妹の彩羽と一緒になって、遊琳に無理を通していた。習い事の身代わりを押し付けたり、散々いびり倒したり、散々気ままに振る舞った。思春期を終えて、ようやく琴花が少し周りが見えるようになった頃には、遊琳は壊れていた。それも表面上は恐ろしいほど穏やかに振る舞い、腹の中のひっそりと狂気を育てていた。

　彼の狂気を琴花に報せたのは、高校の合格通知だった。何をしても、どんな扱いをしても後ろをついてくると思っていた弟が、いつの間にか勝手に受験先を変え、その上、その報告も合格通知が届いたという報せと同時に伝えられた。

「3年だけ、妹2人をお頼もうします。琴花姉様」

　夜の廊下で密やかに笑う弟の横顔は、今でも忘れることはできない。笑っているはずなのに、満月のように真っ白な頬には、何の感情も浮かんでいない。

（あの時の遊琳はんは……もうえらい遠い人やった）

　琴花は、あの表情を二度と目にしたくはなかった。

（だから決めたんや……。うちの夢の代わりに今度こそあの子に自由を……。うちにできんのは、これだけやから……）

　杏理が押し黙っていても、琴花はけっして目をそらさず、覚悟を示す。

「……そやけど、この間の縁談も、受けへんのやろ」

　ようやく口を開いたかと思えば、チクチクと嫌味ったらしい言葉をよこす母。しかし今の琴花ならば、その言葉の真意もわかる。

「うち……いえ、私に頂いた婿入りの縁談、お受けします。舞妓のおつとめも今日が最後ですわ」

　皮肉にも、舞妓をやめる覚悟を伝えるために、舞妓として生きてきた証――美しい立ち振る舞いを存分に発揮する。

「母様、これからどうぞ、よろしゅうお頼申します」

　杏理は、もったいぶるように小さくため息をつく。その口の端に、わずかばかりの喜色が滲んでいることを、琴花は見逃さなかった。

　目を覚ました遊琳は、姉の変化を素直に喜ぶことはできなかった。

（……姉妹の中で将来の夢がないのは僕だけ。だから僕がやればいいって思ってたのに）

　そうはいっても遊琳も、わずかばかりの望みくらい胸に抱いている。けれどそれは姉の夢を苗床にして、咲き誇るようなたくましい花ではない。

（だから、今更駄目なんだ。姉様が、何をしたところで僕は……）

　金木犀の瞳に、映るのは空虚な闇夜ばかりだった。

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