カンゴクブレイク　～罪人がれ野火がごとく～｜リアクション

カンゴクブレイク　～罪人がれ野火がごとく～

■狂気の終着点
　テロリストに殺し屋にヤクザに麻薬王。
　なんでもありのこの監獄において、椿美咲紀はきわめて一般市民に近かった。
　政治家の秘書として日夜忙殺されていた所、急に重大な犯罪を押しつけられて切り捨てられた。
　トカゲのしっぽ同然の捨てられ方ではあるが、その投棄先が絶海の孤島だというのだから念が入っている。
　このまま死ぬまで閉じ込めるつもりだろうがそうはいかない。
　周りの人外魔境が暴れているこの隙が、自由になるチャンスなのだ。
「なにがなんでも！　ここから脱出してやるのですよ！」
　そして現在。
　キッチンで包丁を持った男に追いかけ回されていた。
「けど、これをまずなんとかしないですねえ！？」
　振り返ってリンゴを投げつける。
　相手は戦闘に慣れた人間ではないようで、慌てて顔を庇った。
「どうせ私の口封じにやってきた『念には念を』の鉄砲玉でしょうけどねえ！　そういう手口は間近で何度も見てきたんですよう！」
　フライパンを掴んで翳す。
　包丁が板に弾かれて止まり、美咲紀はめちゃくちゃにフライパンを振り回して相手の頭を殴りつけた。
　気を失って倒れる男。
　ぜえぜえと肩で息をして美咲紀はフライパンを取り落とした。
「こんなことなら、政治秘書なんかやらなきゃよかったです……」
　いや、やりたくてやったんじゃない。
　政治家になるためには秘書というゲートを潜る必要があるのだ。
　この世で実現が難しいと言われる芸人やアーティストの世界よりも更に過酷で闇の深い、政治という世界への入り方である。
　いつ社会的に死んでもおかしくない空間で、平均台の上を全力疾走するような毎日。
　足を踏み外した覚えは無いのに、いつの間にか足場そのものが取り払われていたのだ。
　生まれ変わったら政治とは全く関係ない人間になろう。
　アニメ声優とかになろう。
　だが今はとにかく、生きてここを出ることだ。
　来世のことはその時に考えればいい。
　……と、思っていたら。
「フフ、ごきげんよう」
　首をありえない角度に傾けた添木牡丹が、キッチンの入り口に立っていた。
　半笑いで後じさりする美咲紀。
「ど、どうも。お腹すいたんですか？」
「ううん。お腹はいっぱいよ。愛でいっぱい」
　よたよたと歩み寄り、包丁を目にとめる。
　今の牡丹と包丁。
　なんと危険な取り合わせだろうか。
　美咲紀がわなわなとしていると、牡丹は包丁をつまみ上げ、握りしめ、世にも美しく笑ったかと思うと――。
「こんな風に！」
　自らの腹に包丁を突き立てた。
　ぐりぐりと捻りながら、目を限界まで見開いて美咲紀へと歩み寄る。
「痛……痛い……あ、ああ……痛い痛い愛おしい……」
　血まみれの手が美咲紀の首へ伸びる。
　恐怖。
　混乱。
　そして彼女の中に生まれた『このままにしてはいけない』という使命感が、手元のなにかを握りしめさせた。
　包帯が美咲紀に巻き付いていく。
　『傷を移す』という牡丹の能力によって包丁で滅多刺しにされるよりも恐ろしい事態が美咲紀の身体を襲っていく。
　だが、同時に。
「ただで死ぬ私じゃ……ないんですよ！」
　刺身包丁が、牡丹の顔面へと振りかざされた。
「ああ、やっと私の番がくる……キャハハ！」
　歓喜の声と表情に、美咲紀の刃が――。

　遠ざかるボート。
　監獄には無数の死体が転がっている。
「やだなあ……僕が死ぬわけないって、思ってたんだけど……」
　横たわったタルトは、海を眺めていた。
　崩れ落ちた建物の上。
　ひしゃげたヘリコプターの脇で、がれきを枕に寝転んでいる。
　自分の身体がどうなっているかは、あまり考えたくなかった。
　不思議と痛みはない。
　ひどく冷たい。
　海風が、どこか暖かい。
「生まれ変わったら、何になろう。美少年になろうかな。それとも……ああ、やっぱり、腐女子がいいなあ」
　タルトは目を瞑った。
　もう、開くことは無かった。

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