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　世の中のいわゆる「何事にも動じない人間」という分類には、いくらか種類がある。
　わけても鈴原空はある意味で泰然自若とした人間だった。言い換えれば、ふんわりぽわぽわしていてあまり物事を深刻に捉え過ぎない前向きさがあった。
「ふぁ、よく寝たぁ……」
　眠い目を擦りつつ、空はいつものように起き上がって着替えだす。
「んー、あれぇ？」
　ふと変な感じがして鏡を見て首を傾げた。
「あれれぇ？　女の子になっちゃったぁ」

　鏡の向こう側にいたのは、少女の身体になった自分だった。
　うーんと考えるように傾げていた首を逆側に傾けたが、しばらくしてから空はほにゃっと笑って「まあいっか！」と流した。
「それより、これだといつも着ている服が合わないや」
　ぐい、と普段着ている服に袖を通すが、背も縮んで一回り小さくなってしまっているせいで袖はぶかぶか、シャツの裾に至っては太ももにかかってしまう。
「……しょうがないやぁ、妹の服借りようっとぉ」
　のんびりとした口調でしれっとそういう発想が出てきて実行ができる辺り、もしかすると見かけによらずなかなかの度胸が据わっているのかもしれない。
　許可を得て借りるのが本来なのだが、そこはそれ、そもそも兄に自分の服を貸すのもどうこうという話になってくる。つまり今はいないから無断の借り入れもしょうがないことなのだ。
　ごめんねぇ、と言いながら無人の妹の部屋から服を借り出して、早速空はぶらりと街を出歩くことにした。

　天候明朗にして快晴。風はまだ肌寒いなりに、陽光の暖かさが肌を温めるような外気だった。
　シーサイドタウンの人で賑わう繁華街｡その一角にある映画館から、空は出てきた。どうやら空もその姿でレディースデイに乗じて映画を鑑賞して来たらしい。
「あーおもしろかったぁ」
　空が見てきたのはバリバリのホラー映画だ。夜間のデパートの警備のためにアルバイトとして雇い入れられた男が主人公で、深夜呪いによって悪意的に動かされるキグルミたちをカメラでその動きを監視しながら、自身は警備室で朝まで生き延びようとするという内容だ。
「うーん、楽しかったけどちょっと疲れちゃったなぁ」
　終始緊張の途切れない話だったせいだろう。ふへー、と息をつきながら、さてどこか休める場所はないだろうかと辺りを見回す。
「わぁ、おいしそうなケーキだぁ」
　女性限定と華やかに文字を踊らせたブラックボードに一枚、りんごをふんだんにあしらわれたケーキの写真が貼られていた。
　映画も割引いて貰えたしこっちも食べられると良いなぁ、と足取りも軽く店内に入る。
　店員に女性限定のケーキを注文する。あまりにあっさりと疑われることすらなく頼めたものだから、少しばかし拍子抜けしながらも空はほにゃりと笑った。
「映画のときもだけど、やっぱりみんなぼくのことが女の子に見えるんだなぁ」
　そう考えると、いつもと違った新鮮な気分もあってなんだか愉快だった。
　このまま女の子のままでも良いかなぁ、とさえ考えていそうなぐらい、もぐもぐとケーキを食べる空の顔は幸せそうだった。
「ふわぁ、食べたらなんだか眠くなって来ちゃったぁ」
　暖かい店内にいたせいか、少し眠気を感じ始めて空は会計に立った。
　いつもと少し違っていて、いつもよりも充実した一日。満足そうな顔で空は帰路に着く。
　帰宅するなり、空は「ふへぇ」と気の抜けた声を出して布団に倒れ込んだ。
　何かやらなければならないことがあったような気がしたが、眠気には勝てない。
「まあいいやぁ、今日はもう寝ちゃおっとぉ……」
　おやすみなさぁい、と布団の中に潜り込み、こうして彼女の一日は終わった。

　翌日の朝。
「……あれぇ？　元に戻ってるぅ？」
　起きると、空の身体は元の男のものに戻っていた。
「夢だったのかなぁ……」
　頭を捻るが、けれど確かに彼は妹の服を着ている。
「……まいっかぁ」
　ほにゃりと笑って、彼は流した。
　――のちに、身体が元の大きさに戻ってしまったせいで、着ていた妹の服が小さいやら脱ぎにくなってしまったやらで空は少し強引な脱ぎ方をしてしまった。
　それが原因で服が伸びてしまい、そこから妹にバレてしまって怒られたとか怒られなかったとか。
　それはまた別のお話である。

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