水没と忘却のヒュムノス｜リアクション

水没と忘却のヒュムノス

●泡沫の言の葉
　心地良い水に抱かれて、黒依アリーセは水底へと――己の心の奥深くへと呑み込まれていく。白亜の聖堂に響き渡る讃美歌は、誰の心にも眠る音がかたちになったものなのだろうか。明確な旋律と言うより、アリーセにはそれが、あたたかな鼓動のようにも感じられた。
（あ――……）
　蘇る記憶の中、彼女が再会したのは中学まで一緒だった幼馴染。人見知りだった自分を、いつも引っ張ってくれた大切な友達だった。高校は別になってしまったけれど――当時一緒に、歌手になってアルバムを出そうと言って、二人でノートに歌詞を書き留めていたものだ。
（稚拙だけど、良くも悪くも真っ直ぐな想いが詰まった詩片達）
　――本棚の隅に置かれた、鍵付きの収納箱の中。其処に次々と湧いて、書き留められては忘れられていった泡沫の言の葉達が眠っている。
（力が足りず、投げ出してしまったこの子達だけど……今の私なら、形に出来るかしら？）
　すっ、と幼馴染が手を伸ばすと、アリーセの目の前でぱらぱらとノートの頁が捲れていった。
『沈む　沈む　暗い蒼に
　掴む　掴む　淡い白を』
　――詩片は此処で終わっている。しかしアリーセは意を決して顔を上げると、純白の羽根ペンを握りしめて詩を書き直した。今の自分が紡ぐ、思い出して欲しいと待ち望んでいた記憶――彼らに呼ばれた己の姿を重ねながら。
『沈む　沈む　暗い蒼に
　たゆたう髪に　纏わりつく　悪意の手　抗えず
　堕ちる　堕ちる　深い黒に
　手を伸ばし　縋りつく　泡沫の　想い散る』
　彼方の光を見つめ、指先の間を泡沫がすり抜けていく虚無。光届かぬ底へと落ちていくと思えば、絶望が胸を満たした――けれど。
『水底に　横たわる　冷たい体　力無く　
　目の端に　映るのは　白い墓標　過去の詩
　愛おしく　なぞる指　光り出す　詩片たち
　指し示す　行く先を』
　死者のような眠りが待ち受けていると思った其処は、過去の思い出が眠る場所。彼らは消えてなどおらず、ただ思い出してくれるのを待っていただけ。微かな切なさを含んだ懐かしさと共に、記憶は仄かな光を放ち――やがてそれは、未来へと導く標となる。
『伸ばす　伸ばす　淡い白へ
　詩片の示す　淡い希望　伸ばした手に　触れた想い
　浮かぶ　浮かぶ　光る先へ
　ゆっくりと　急がずに　背に温もり　感じながら』
　聖堂を彩るステンドグラスが、無数の破片となって砕け散った。天から溢れる光は淡い白、無意識の内にアリーセが伸ばした手が、何かを掴んだ時――彼女の身体はふわりと、水面に向かって浮かび上がっていく。
　――過去のぬくもりに、背中を押されるようにして。
『水面に浮かび　見上げた月に　過去の自分を　想い描く
　思い出すのは　変わらぬ想い　友と交わした　約束の詩』
　やがてアリーセは、水没と忘却の世界に別れを告げて、水面を漂いながら月を見るだろう。
　そして新たに生まれた約束の詩、思い出の欠片を紡いで形になった詩を、彼女は澄んだ声で――讃美歌のように歌い上げる。

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あとがき

担当マスター：柚烏
ファンレターはマスターページから！

柚烏と申します、この度はシナリオへご参加頂きありがとうございました。
イラストからイメージを膨らませてみてのお話でしたが、水に沈みながら見る記憶の欠片のようなものを、表現出来ていれば幸いです。
幻想的な雰囲気を漂わせつつ、しっとりとした心情を描写するよう心がけてみました。
皆様のキャラクターの思い出のひとつとなり、心に何らかの波紋が生まれたのなら嬉しく思います。

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