水没と忘却のヒュムノス｜リアクション

水没と忘却のヒュムノス

●過去との決別
　聖堂へ足を踏み入れたと思った瞬間、恵御納夏朝を取り巻く世界は一変していた。何処かの中学校は懐かしいと言うより、よそよそしくも不安を掻き立て――じろじろと周囲の無遠慮な視線に晒される中、自分は見世物のようにして机から立ち上がる。
『えみな・かーさ……です。よろしく』
　ああ、自分は中学当時、髪を伸ばしていた。言葉少なに自己紹介をすると、教室内からはわざとらしい舌打ちが聞こえて来る。
（ここは……中一と中二の一学期だけいた、中学校……？　そうか、中学入学初日だ！）
　――其処は、良質と謳われていた中学校だったけれど。ダークレッドの奇抜で悪趣味な制服を着た美少女が、夏朝を見てくすくすと笑っていた。
（……地域の偉い家の娘って噂があった）
　二重瞼で鼻筋は通っており、髪を染めた――一見、親しみを覚える外見をした子。取り巻きの女子を数名引き連れた彼女は、そうだ――。
（彼女は、苛め主犯格……）
　彼女たちによる苛めは陰湿だった。指摘や無茶ぶりをさせて、従うと前に言ったことを変えるのに始まって、靴や弁当箱なども隠された。貸した物を返さないのは当たり前。
（そうだ、髪も乱暴に切られた！）
　――他にも色々酷いことをされて、当時のことは殆ど覚えていないけれど。それでも今、昔の苛めっ子達に反撃と決別をしてやろうと夏朝は思った。
（ろっこんは使わない……あの頃の僕にできる、抵抗を！）
　自分の机をぐっと掴んで、夏朝は苛めっ子達に向けて力任せにぶん投げる。あ――と、その時奴等にかかったのは何だったのだろう。
（そう言えば初めて机に教科書入れた時、酷い目にあって――）
　教室内が怒号と悲鳴に包まれる中、此処から出る為に夏朝は勢いよく扉を開く。そうして振り向きざま、ずっと心の奥に仕舞っていた想いを吐き出した。
「……この地域へは戻らないし、君達にも会いません」
　当時喪ったものも多いけど、大切な別人格と大切な今を生きる為、彼女は過去と決別をする。
「それじゃ……さよなら！」
　――そして、ぴしゃんと気持ち良い音を立てて扉が閉まった。

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