瞬間の魔法｜リアクション

瞬間の魔法

　獅子島市子と桃川圭花は『パピヨン』を訪れると、まずは衣装を選ばせて貰うこととなった。
　衣装室はあちこちに衣装選びのために姿見鏡が用意されていて、市子は何気なく鏡の中の自分を覗き込む。すると横からヒョイと眼鏡が取り上げられ、替わりにサングラスが押し付けられた。
　市子が鏡越しに圭花を横目で見ると、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべている。
　ここで怒るのも、突っかかるのもナンセンス。市子は鏡の向こうの圭花を指差し、思いっきりインチキ臭く「ユートーキントゥミー？」。某なりきりヒーローになりきった。

「それだったら、こっちの方がいいんじゃない？」

　そう言って、圭花の見立てた小さめレンズのロイド眼鏡にチェンジ。

「さすがに胡散臭いっていうか……あはは。ある意味似合ってるわ」

　堪えきれずに吹き出してしまう圭花を眺めながら、市子は頬を緩めた。

（……なんか、あのときのことを思い出すなぁ）

　いつか服屋でのやりとり。思い出でも現実でも圭花は楽しげに笑っていて。眼鏡を変えるたびに圭花のスラリと靭やかな指先が市子の素肌をかすめていって。
　……嬉しい。眼鏡の奥の瞳が、幸せそうに細められた。

「あ、これ似合う」

　唐突に眼鏡を取り替える圭花の手が止まった。
　圭花のおメガネに適った眼鏡は、とりわけシンプルでこれといった特徴のないスクエア型の眼鏡だ。
　笑いも感動もない、見慣れた自分の姿をぼんやりと市子が眺めていると、突然背中に柔らかい温もりを感じた。

「……私の好きな人って、やっぱ世界でいちばん可愛いなって。今思っちゃった」

　圭花の腕が市子の肩から胸に回されて、圭花の可愛らしい顔は頬に寄せられる。
　幸せそうに目を細める姿は、猫のように気ままで、その顔を見ているだけで市子の胸に幸福感が満ちていく。　

「ね、このまま一枚撮ってみない？」

　その体勢のまま上目遣いで圭花が告げた。かと思うと、どこから持ってきたのか大きなレンズのバタフライ・サングラスを掛けてニっと口角を上げる。
　断られるなんて思ってもいないのだろう。

「……撮んの？いーけど」

　もちろん市子に断る気なんてないのだから。

「んじゃ、このカッコのままかなあたしは」

　黒のベストにボタンを一つ二つ外して着崩したYシャツ。ジーンズも普段通りのラフなもの。

「うん、市子さんはそれがいいと思う」

　圭花の微笑みがあまりにも鮮やかで、市子は思わず目を伏せる。

「私は少しだけ準備するね」

　そう言って圭花は市子から離れ、プチン、プチンとリネンシャツのボタンを外していった。

　＊＊＊

　薄明かりが灯る江戸の夜は赤く光る。その街道の奥にある見世の、さらに奥にある座敷で市子と圭花は向かい合った。
　市子はほとんど普段通りの格好で、対する圭花もそんな市子に合わせたラフなスタイル。
　胸元を大きく開き、長い髪はショートヘアーのように綺麗にまとめ上げ、いくらかこぼれた髪が白い首筋を彩っている。
　耳には柘榴石の一粒イヤリング。手首にはか細いチェーンのブレスレットが煌めいていて、圭花の細さをより際立たせていた。
　市子が恐る恐る彼女の表情を盗み見ると、飾り気のない柔らかな唇がやけに目についた。濡れているように見えるのは、淫靡な空間のせいなのだろうか？

（世界でイチバンってソレ圭花じゃん……やっぱこーゆーとき誰よりも光ってる）

「じゃあ、撮影始めます！」

　カメラマンの合図で市子は我に返った。慌ててカメラを意識する。

「市子さん緊張してる？」
「……ちょっとだけな」

　ふいに畳の上で、互いの指がぶつかった。

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