春のパンケーキ祭り｜リアクション

春のパンケーキ祭り

　ミルクホールのキッチンでは、従業員のエリセイ・ジュラヴリョフ、レナート・ジュラヴリョフの兄弟と佐藤英二が、ふくふくと焼きあがっていくパンケーキをじっと見つめていた。
　エリセイが「うん」と頷いたタイミングで、英二は志波武道が準備してくれた皿の上にパンケーキをのせる。
「綺麗に焼けてるね」とレナートは英二の背中を叩く。
「気合を入れて頑張りましたから。プレーンなパンケーキはある程度焼けるようになったかな？」
　英二は自分の焼いたパンケーキの出来栄えを見て、満足そうに息を吐いた。先に武道が作っていたものと遜色ない完成度だ。
　しかしエリセイはどことなく消化不良な顔で腕を組む。英二の作ったもの云々ではなく、根本から引っかかっているらしい。
「生地はこのレシピで良い？　普ッ通ーな感じだけど」
「確かに東京で食べたのは、パンケーキ自体が普通のと違ってましたね」英二は最近少し肥えてきた自分の舌を信じて言った。
「焼き具合は参考に出来ましたけど……、あの甘くてフカフカな生地は、きっと特別なレシピが必要な気が」
「まあウチは専門店じゃないしね、凝り出すとキリねぇよ。リーセは変なトコだけ完璧主義過ぎる」
　レナートがまだ眉を寄せている双子の片割れを苦笑したところで、店主の寺島康子が、どっさり抱えてきた材料を台の上に広げた。
「ウチはトッピングやクリームで勝負しましょう！」
　待ってました！　と武道と英二が笑顔を見合わせている。
「さ。完成したのからホールに運んで頂戴。『お客様』がお待ちよ」

　康子の言うお客様とは、試食会に呼ばれた従業員の友人たちだった。
　カウンター席に、アルバイト店員たちの共通の友人である市橋誉とイリヤの同窓生の水上桜が、武道の弟の志波拓郎を挟んで座っていた。
　拓郎は、桜に「ここに来るのって初めて？」と聞かれて、微妙な顔で頷いた。
　もう高校生だと言うのに無駄に絡んでくる次兄は、拓郎にとって悩みの種だ。同学年の誉の前で「たー坊たー坊」とべったりされでもしたらと思うと、気が気じゃない。
「兄貴に、甘いものが食べられるイベントがあるって聞いてきたんだけど……」
　甘いもの好きだから、試食でも食べられるのは嬉しい。けれど兄が作ると思うと、何かやらかすんじゃないか？　と、不安がワクワクの上へ登っていく。
「気分はもう執行前夜の死刑囚みたい」
　桜から思わぬ返しがきて、拓郎はいよいよ心配になった。動揺する顔を見て、誉はくすくすと苦笑いしてしまう。
「水上のは、受験の話しだろ？」
　そうよ、と答える代わりに、桜は盛大にため息を吐いた。
「あと少しで受験番号『１９４』が『行くよ（GO）』か『逝くよ（DIE）』か、否応なくわかる」
　当人にしか分からない、『過ぎる』苦悩を聞いて、拓郎は申し訳ないながらも——料理については杞憂かもしれないと——安堵していた。
　
　それから三人が徐々に作っていった和やかな空気のなかで、誉はレナートに淹れて貰ったコーヒーの香りに、甘いものが混じるのに気づいた。今日は他の料理がないから、余分に分かりやすい。
　バターの溶ける香りだ。
「いい匂いしてきたな」
「あー、お腹減った！
　……って考えられる程度には、私もやはり気持ちが落ち着いてきたというか。時折巻き込まれる『フツウ』がなければなお良しなんだけど」
　桜のぼやきに二人が笑っていると、扉の鈴の音と共に入り口から声が聞こえてきた。
「——僕らは裏でポンチクを拭いてから戻るので、先に座っていて下さい」
　イリヤは誉たちの視線に気づいて軽く手を振り、水樹とヒューをカウンターに座るように促した。
　二人が椅子に座って一息ついたところで、キッチンから聞こえていた声たちが近くなってきた。
　お待ちかねのパンケーキが完成したようだ。

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