【バレンタイン】冬の赤いチューリップ｜リアクション

【バレンタイン】冬の赤いチューリップ

　つんつん。
　放課後、水上桜は背中をシャープペンシルのノック部で突かれて、くすぐったさに悶えながら友人を振り返った。
「なによー！」笑いまじりに答える桜の前に、ずいっと期待溢れる顔が近づけられた。
「ね、ね！　バレンタインどうするの？」
「バレンタイン……？」
　一度単語を繰り返して漸く意味を飲み込めた。「あー……もうそんな季節か」と乙女に有るまじき反応をしたのには訳がある。
「受験のことしか頭になかったんで忘れた」
　寝子島中学３年に所属する桜は、寝子島高校の入学をかけて、つい数日前に行われた試験に１５歳の情熱の全てを傾けていた。
　苦手科目で頭をいっぱいにし、勉強をしなければと言う切迫観念に追われ続けたあの辛い日々を経て、今の彼女は燃えカスと呼ぶに相応しい、魂の抜けた状態だったのだ——。

　押したドアがチリンチリンと綺麗な鈴の音を鳴らすと同時に、桜は「こんにちは」と挨拶の声を響かせた。
　こちらを振り返った二つの同じ顔が、「いらっしゃい桜ちゃん」と同時に返してくる。
　旧市街のカフェ『ミルクホール』の店内は、自宅で私服に着替えてからそう時間を置かずにきたからか、まだ静かだった。席に案内された桜の顔でそれを察して、レナート・ジュラヴリョフは貼り付けていた接客用の薄い笑みに、親しげな微笑みを重ねた。
「混みそうなのは夕方からだね。山でイベントやってるから、予約のお客様もいらっしゃるよ——」
「チューリップ広場でしょ。あとで観に行くつもり」
　そこで接客を終えたエリセイ・ジュラヴリョフも、双子の弟の隣で立ち止まった。
「イリヤ達もステージに居るから、暇こいてそうだったら挨拶してやって」
「暇こいてそうだったらよね。
　実は今日がバレンタインデーだってさっきまで失念してたんだけどね。受験から解放された特別な日だから、満喫するつもり」
　桜はそう言い終えると、カバンの中をゴソゴソと探り、不思議そうにしつつも待っていてくれる二人の前に包みを２つ出した。
「ハッピーバレンタイン」
　チョコレートを受け取った双子が思わず喉奥から笑いを漏らしてしまったのは、桜のバレンタインチョコレートが『お徳用チョコレートパック』の１粒だと隠す気もない潔さだったからだ。
「あはは有難う！　いいねコレ桜ちゃんらしい」
「有難う、忙しくなったらコレで元気出すよ」
「受験の時色々アドバイス貰ったし、ちょっとした有難うの気持ち。
　——答案に何を書いたかほとんど記憶がないだけどね。なんかもう間違ってるような気がしてならない……」
　桜は遠くを見ながら受験直前のある日に巻き込まれた事件を思い出して、引きつった笑いを漏らした。

＊　＊　＊　＊　＊

　自己採点の結果を聞いて「心配しなくても大丈夫だよ」「合格してるって」と言う双子の笑顔に見送られミルクホールをあとにした桜は、その足でチューリップ広場へ向かった。
　アーチをくぐると一面に広がる花畑をぼんやり見つめて、昨年のバレンタインデーを思い起こした。
（——あの時はお一人様な友達と一緒だったっけ。件の『寄生虫ボーイ』とは夏休みに破局したっきりだったし）
　今年は受験のことばかりで恋愛なんて考えている暇はなかった。
　最近よく話すようになった同窓生の男子たちも、友情を築いている最中で、お互いに恋愛対象になりそうな空気は全く無いが、試験の結果発表を待つ今の桜には、それくらいの人間関係が丁度良いのかもしれない——。

　そんな風に考えていると、ステージの脇の楽屋からその友人達が出てくるのが見えた。２人は同窓生で同じ３年生だが、クラスが違う。挨拶を交わすのは試験日以来だ。
「二人とも気楽でいいよね」
「……全部終わったからだよ」
「こいつ当てられてやんの」泉がイリヤの肩を揶揄い交じりに叩いた。
「だって！　皆凄く緊張してるから、あの中に居たら胸がドキドキして——」
　普段のほほんとマイペースに見えるイリヤでさえそれなのだったら、もう仕方がない事なのだろう。彼に共感を覚えながら、桜は取り取りに咲き誇る花たちを見つめて大きく息を吐いた。
「……そうよね。お互い開き直る事しかないわよね。私はそうする事にした！
　だって受験番号、『１９４』番だったし」
　桜が遠い目をする理由が分からずに首をかしげるイリヤへ、泉が語呂合わせだと教える。
「……イ・ク・ヨ？」
「“GO”か“DIE”か悩むところだな」
　ぼそっと呟かれて、桜は花畑の中で悶えた。
「前者だって思いたいッ！！」
　１５歳の少女の声と悩みを吹き飛ばすように、丁度タイミングよくこの日一番の風が吹き付けてくれた。

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