扉のその向こう｜リアクション

扉のその向こう

　熱を帯びた湿気が肌に纏わりつく。
　昼間の太陽の熱が未だ冷め切らぬ生温い風が、砂利道の左右を挟む竹林を騒めかせて夜空へと昇る。
(夏……？)
　首や胸元に滲む汗を部屋着の襟で拭い、袖口を捲り上げながらも、羽生碧南は道の奥へ奥へ足を緩めず進む。
　夏の夜風に運ばれ、道の向こうから蚊取り線香の匂いがする。懐かしいような匂いに誘われ道を抜ければ、そこには白壁の蔵を背にした夏の庭があった。
　桔梗に向日葵、萎んだ朝顔にテッセン、丁寧に手入れされた夏の花々がぐるりに咲き乱れる蔵の前には、竹で出来た長椅子が引き出されている。椅子の上には硝子の器に盛られた西瓜と氷出しのお茶。風に漂う西瓜の匂いに思わずごくりと喉を鳴らした途端、どん、と腹に響く音が空に鳴り渡った。
　振り返れば、夜空を極彩色に染めて乱れ咲く大輪の花火。
　ふと自分の服を見下ろす。冬の部屋着はこの空間にはちょっと似合わない。

(でも私のサイズだと浴衣も特注になるし……)
　こういうとき、自分の長身は少し恨めしい。
　部屋着の裾を片手につまんで、いろいろと脱線気味なことを思いつつ、碧南は花火に彩られる夏の庭を見回す。不思議と、懐かしい感じがした。
　蔵の分厚い扉は開かれ、中からランプのものらしい橙の光が揺れているけれど、とりあえずは長椅子に座って花火でも見てみようか。
　ナニカに誘われるように長椅子の端に腰を下ろす。空に次々と花火が開き、色とりどりの光の尾を引き消えて行く。
　気紛れに吹き寄せた冷たい風が汗をさらう。心地よさに知らず笑んで、――西瓜とお茶の盆を挟んだ長椅子の向こう側、人の気配を感じた。
(座敷童？)
　この場を訪れた目的を思い出し、遠い空の花火から隣へと視線を移す。そうして、息を呑む。
「うそ」
　傍らには、五年前に病気で亡くなった四歳年上の従姉が、生前のその姿のまま、背筋を伸ばして座していた。
「希お姉ちゃん……どうして？」
　碧南の問いには応じず、従姉は手にした団扇で碧南を扇ぐ。さらさらと寄せる優しく涼しい風に、碧南は唇を震わせた。胸に渦巻く言葉が声にならず、涙になって頬を伝う。
「お姉ちゃん」
　信じれぬままに従姉を呼ぶ。従姉は淡く笑んだまま、腕を差し伸ばし、指先で頬の涙を拭ってくれた。その指のありえぬ冷たさに、碧南は瞳を歪める。
「お姉ちゃん、あのね、」
　話がしたかった。
　亡くなるその前も、その後も、話がしたかった。たくさんたくさん。
　けれど、今、何を伝えればいいのだろう。心に積もり積もった想いは、言葉にするには多すぎて、声にしようとすればするほど言葉が縺れてしまう。
(それでも……)
　絡まる糸を解くように、碧南は必死に喋る。
　また会えて嬉しいこと。いなくなって寂しかったこと。家が火事で全焼してしまったこと。中学の頃に始めたバスケットを続けていること。
　話したいことはたくさんある。
(それでも)
　この時間が長くは続かないことを、碧南は気付いている。

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