もしもストーリー｜リアクション

もしもストーリー

　浅葱眼鏡店のカウンターの奥、倉庫として使われているスペースで浅葱あやめは掃除に勤しんでいた。埃を吸着するハタキを使って小まめに汚れを取っていく。
　丸めていた背中を少し伸ばした。やり残しを探すような目でゆっくりと見回す。あやめはずり下がった眼鏡を指で押し上げた。視線をやや下げて顔を近づけていく。小箱の表面に薄っすらと埃が積もっていた。
　――小箱を見ると、今でもあの時のことを、思い出しますね。
　どこかぼんやりした様子で小箱にハタキを使った。力加減を誤って上蓋が斜めに浮き上がる。
　あやめは小箱に手を伸ばそうとして思い止まる。台の上に小箱は幾つもあった。漆や螺鈿が施され、精巧な作りを誇る。傍らの和紙には墨で『め、あし、みみ、て』と部位が書かれていた。
「どれにするん？」
　売り子なのか。日本人形を思わせる容姿の女の子が訊いてきた。見上げた顔を少し傾ける。
「……ここは、そうですか…」
　いつの間にか現れた、手の中の小箱に目を落とす。上蓋が開いた状態で中には今にも動き出しそうな人形の足が入っていた。
　あやめは視線を女の子に移した。
「…やはり、お代は……」
　女の子は人差し指を立てる。その姿のまま、恋心を一月分、と口にした。
　あやめは物憂げな表情となる。
　――僕の行動を止める、優しい手は、ここにはない。
　茶色い目に意志が籠る。
「あしを、ください」
　指差した小箱が差し出された。あやめは躊躇うことなく、中を開けた。足は一対となった。
　――僕の恋心が、切り刻まれて、消えていく。苦しい思いが、細切れになって、なくなる。そうして全てが消えれば。
　あやめは次々と小箱を入手した。両腕、腹部、胸と手に入れて、最後に心を加える。掌に一体の人形が完成した。
「……どこかで、見たような、でも、誰なのでしょう……僕には、わかりません……」
　あやめは人形を足元に置いた。上から気のない様子で眺めた。自然と手は左胸に当てられた。その部分のシャツを強く握り締める。同様の皺は顔にも刻まれ、苦悩の色を濃くした。
　――僕の胸の苦しさは、まだ残っている。忌々しくて辛いだけの、そんな恋の記憶は、この胸に深く、抉るように、刻まれている。
　あやめは小箱を買い続けた。代価に恋心を差し出す。気付けば人形に取り囲まれていた。無表情な顔で購入者を見上げる。
　――この人形達は、誰なのでしょうか。
　あやめも無表情で返した。中身のない大きな人形のようであった。
　ふと表情に焦りが生じる。目に落ち着きがない。売り子の女の子は前傾になって覗き込む。
「……未来の…僕の恋も、全て差し上げます……そうすれば僕は」
　残りの想いは胸中で吐露した。
　――同性を愛することは、なくなるはず。普通の人のように、普通に誰かを愛して、普通に幸せになれる。
　カタンと硬い音がした。視線の先にある小箱の上蓋が閉じていた。
「……ここは、元の、倉庫ですね」
　あやめの背中がいつも以上に丸くなる。表情は戸惑いを見せていた。
　――残念に思う気持ちと、これは、安堵なのでしょうか。
　左胸に手を当てる。緩やかな鼓動に耳を傾けるかのように瞼を閉じた。
　――思い返せば、あれから色々ありました。ほんの少し、前向きになれた気がします。あの時、全ての恋心を手放さなくて、今は良かったと思います。
「この安堵は…僕の恋心……」
　恋は痛みだけではない。甘い要素もふんだんに含まれている。
　――そう、あれで良かったんだ。
　あやめは背を伸ばし、残っていた掃除を手早く終わらせた。
　その時、呼び鈴が鳴らされた。急ぎ足でカウンターに向かう。
「ようこそ、いらっしゃいました。今日はどのようなご用件でしょうか」
　柔らかい笑みであやめは客と接した。

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