プロムナードの夜｜リアクション

プロムナードの夜

　ふぃん、とスーパーマーケットの自動ドアをくぐったところで、彼女は足を止めた。
　街路時計の短針は『Ｖ』にかかったばかりだというのに、もう空は暗い。
「ほんま、秋の日はつるべ落としとはよう言うたもんやわー……あ、もうとっくに冬か」
　さむさむ、と彼女は両腕をこするような動きをした。
　彼女はエコバッグを提げている。バッグの口からは白ネギと、ビニールに包まれたフランスパンが顔を出していた。けれど今日は、彼女に急いで帰る理由はない。
　一応別居しているものの、その実向かいのアパートに住んでいる息子からは、今夜はネットゲームの大規模イベントがあるからという理由で、『面会謝絶！　来訪禁止！』といつになく強い口調で申し渡されている。それは単なる口実で、本当はガールフレンドが尋ねてくる……なんていう話だったらそれこそお赤飯でも炊きたいところなのだけど、まあ、望み薄だろう（少なくとも今のところは）。
　したがって夕食を持って行く必要もないわけだ。夕方から夜まで、今日は少し、暇になりそうである。
　さすがに商店街からはお正月ムードも消えており、来月のバレンタインを見据えてか、やたらとハート型のバルーンなどが目に付く。
　近道すべく花屋の角を曲がろうとした彼女だったが、
「お願いしまーす」
　という声を耳にしてもとの道に戻った。
　行く手では若い女性が数人、籐の籠を手にポケットティッシュ配りをしているのだった。
　その花やいでいること！　いずれの女性も若く、見栄えも鮮やかで、うっとりするようなドレスを着ている。その上からめいめい、ダウンジャケットやコートを羽織っているのだが、揃って前は開けていた。
　主婦としてティッシュ配りを逃すわけにはいかない。彼女はわざとゆっくり歩いて手を差し出す。
　ところが、
「お嬢ちゃんはまた十年後ネ」
　いくらか中国語訛りが混じった口調で、ほっそりした女性は首を振ったのである。彼女は明るい赤色のチャイナドレスを着ていた。大きく開いたスリットからは長い脚がのぞいている。髪も頭の両サイドでシニヨンに結っているではないか。
　七枷七海はこういう反応には慣れっこなので、特段にショックを受けた様子もなく、橙色のエコバッグから定期券入れを取り出し、にこっと笑ってみせた。
「お嬢ちゃんちゃうで、うち、37歳や♪」
　中学生から小学生くらいに見間違われるのは、七海にとっては日常だ。そのため七海はいつも、普通自動車の運転免許証をすぐに取り出せるようにしている。

　彼女は、七海の顔と免許を何度か見比べた。
「いやぁ、お姉さん、私より歳上か！？　驚いたよー。ごめんねー、子どもと間違えて」
「えぇんです、いつものことなんで～♪」
　するとチャイナドレスの彼女は、両手で一つずつティッシュを持ち、
「お詫びの印にこれ、サービスするよ。２個上げちゃう」
　七海の手を取り、ぎゅっと握らせるようにして手渡したのだった。細くて綺麗な指だった。
「あ、おおきに～♪」
　美容室かと思いきや、ティッシュの裏に入れられた小さなチラシにはキャバクラと明記されていた。といっても、こういうチラシによくある、ピンクや蛍光グリーンがうごめく毒蛙のようなデザインではなく、色はマホガニーとピアノブラックを中心にした控えめなもので、その分、所属している嬢の写真を綺麗に撮影してプリントしている。
「でも、うちには縁のなさそうなお店やね……」
「大丈夫。うちの店、女性も歓迎ネ。女性のお客さん、実際多いし」
　と笑う彼女の写真も掲載されていた。名前は恋々（レンレン）とある。
「女性歓迎なんか。珍しいなぁ」
「うちは男女問わず、話したい人、誰でも来てねっていう方針ネ。もちろん明朗会計、ここに書いている以上のお金は取らないヨー」
　しかもこのチラシ持参で20パーセントオフ、と恋々は力を込めて言った。
　ほがらかな恋々の口調と、チラシの明るさに悪いイメージはなかった。ふぅん、と七海はうなずいて、
「行ってみる……かも？　まーくん……うちのパパさんから、仕事の付き合いで行ったときの話聞いてて、どんなとこか興味あったし……」
「それは嬉しい。オープン、20時からネ。待ってるヨ」
　じゃあね、と恋々は手を振った。
　うん、とうなずいて少し歩くと、何気なく七海は振り返った。
　恋々の他にも何人か、暮れなずむ商店街からするとちょっと浮いた、華麗な女性たちがティッシュを配っている。寒いだろうに、みんなずっと笑顔だ。
　物は試しって言うしなぁ――そんな気持ちに七海はなっている。

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プロムナードの夜

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