大きなイチョウの木の下で｜リアクション

大きなイチョウの木の下で

　
●雑貨店『memoria』

　中山喬は雑貨店『memoria』で住み込みの雑用係をしている。店主の密架（ひそか）にかわって在庫管理の力仕事から掃除、留守番までさまざまなことをしているが、密架がいるときは客の相手は全面的に彼女に任せて、裏に引っ込んでいた。店員らしからぬ態度ではあるが、なにしろ気の利いたお世辞ひとつも言えない不愛想者なので、密架も文句は言わない。
　この日もレジ奥のバックヤードでここ最近のインスピレーションを形にしていると、困惑げな表情で密架が戻ってきた。
「どうした」
「――さっきの人に相談を受けたの」
「そういやずいぶん長く話してたな」
　てっきり商品について話しているとばかり思っていたのだが、とつぶやきながらも作業の手は止めない。いかにも話半分といった態度だが、密架は気にせず先の女性から受けた相談内容について喬に話した。
　女性に首を絞められる悪夢にうなされる小学生の甥のために、何か役に立つ物はないか探しているという。
「とりあえず、よく眠れるハーブティーと、ハーブを詰めた安眠枕をおすすめして、それを注文されたのだけど……話を聞いただけでもひどい悪夢と分かるでしょう？　これで見なくなるとは思えないのよ……」
　病院で精神科医にかかるとか、カウンセリングを受けるとか、何か根本的な治療が必要なのではないだろうか……。
　ほうっとため息をつく密架の前、喬はじっと、完成したばかりの人形を見ていた。
　彼がつくっているのは箱庭フィギュアだ。古い神社の一角と、大きなイチョウの木がある。昭和をイメージした古き良きシリーズとして出していこうと考えた物で、境内で遊んでいる子どもの人形をつくるつもりだったのに、気がつけばうつろな目をした少年が境内に倒れているのをつくろうとしている。
（手に握らせようとしていたのは、何だ？　これはナイフか？）
　――くそッ！
　人形をぐしゃりと握りつぶして、喬は立ち上がった。
　勢いが強すぎて、ぐらんぐらん揺れたイスが倒れる音が派手に響く。
「喬？」
「ちょっと出てくる」
　人形だった物をテーブルに放り出すと、喬は両手をポケットに突っ込み出ていった。

　道の端の邪魔にならない位置で自転車を留め、『memoria』のドアを引き開けようとした八神修の伸ばした手の先でドアが動いた。

「おっと」
　持ち前の反射神経で押し開かれたドアを避ける。出てきたのは喬だ。喬はドア影にいる修に気づいた様子もなく、足早に表通りの方へ歩いて行く。
　スノードーム教室で見かけた彼は怒りっぽくて乱暴そうに見えたが、今の彼はそれに輪をかけて機嫌が悪そうだ。声をかけそびれてしまったけれど、その深刻そうに強張った横顔が心にひっかかった。
（何かただ事じゃないのかな）
　そう考えながらドアをくぐると、ドアチャイムの音で修の入店に気づいた密架がバックヤードから出てきた。
「いらっしゃいませ。何をお求めですか」
　にこやかに営業スマイルで応対する密架に修は訊いた。
「あのー、さっき中山さんとすれ違ったんですが、彼、何かあったんですか？」
「何か、ですか？」
「あ、いえ。ちょっと思わしげなふうに見えたので……」
　彼らしくない、と言いきれるほど、修は喬を知っているわけではなかった。以前開催された教室で、講師の密架の助手をしていた彼を見かけただけだ。だからどうしてもあやふやな物言いになってしまう。
　そして密架との関係も店主と客という域を出ないからには、「そうですか」とほほ笑まれては、それ以上突っ込んで訊くわけにもいかなかった。
　もっとも、たとえ訊けたとしても、密架にも喬がどうして出て行ったか分からない以上、答えようがなかったが。
「……すみません。買い物はまた今度にします」
　それでもやっぱり気になると、修は軽く頭を下げて店を出た。

このページにイラストを設定する