【お正月】寝子島神社に願いを込めて｜リアクション

【お正月】寝子島神社に願いを込めて

　高校三年生にもなれば、間近に迫ったセンター試験へのラストスパートの時期だ。
　受験生にとって決して気が休まる事の無い正月――ではあるのだが、ＡＯ入試を無事にクリアし、木天蓼大学文学部心理学科への進学を決めていた仙藤紫は『受験』という苦しみから解放されていた。
　彼女にとっての正月は『苦しみの時期』ではない、例年通りの穏やかな一日を迎えることに叶っていた。

　しかし――
　吐く白い息は哀愁を帯びている。憂いを帯びた紫苑の瞳は、物悲しさを感じさせる様だ。
　紫にとって例年と違うのは、去年と今年、共に歩む相手の違いだろうか。
　昨年、寝子島神社への初詣へと共に向かったのは共に居ようと誓った一人の男性だった。
「――」
　言葉無く、彼の事を思い返して紫は喧騒の参道を見回した。
　まるで淡い水彩画の様な恋愛だった。激しく燃え上がる訳ではない――けれど、淡く美しい『こい』は愛情にしては落ち付きを払い、何事もないにしては十分な喪失感を与えていたのだ。
　ぽっかりと空いた胸の穴。
　出会い、別れるまでのその時間がかけがえのないものだったのだと気付いたのは、何時の事だったか。

「あの……」
　御神籤下さいとひょこりと顔を出した夏朝に「どうぞ」と先程までの憂いを拭い、笑みを返す。
　大人びた容貌に良く映える巫女姿。晴れ着の代わりにアルバイト募集に応じた『臨時巫女』は手際よく夏朝が引き抜いた棒に対応した番号の紙を手渡した。
「猫さん描かれてるかな……？」
「猫についての項目があればいいわね」
　くすり、と笑みを零す紫に見送られて夏朝は手にした御神籤をゆっくりと開く。
　そこに有ったのは『大吉』。何事も落ち付いて考えるが吉と書かれた結果だった。
「わ……！」
　思いがけない結果に喜ぶ夏朝の目の前に尻尾を揺らした猫が素通りしてゆく。
　どうやら運気は上々だ。穏やかな散歩をする猫が挨拶する様ににゃあと鳴く声にひらりと手を振り返してから彼女は御守りを下さいとラインナップを見回した。
『穏守祈願』というのはさすがに見つからないが――勉強の御守りや身代わり守りを買おうと購入する。
　上々の結果と満足のゆく買い物の後は屋台を見て回ろうかと、先程通った参道へとからんころんと下駄を鳴らしゆっくりと歩を向けた。

　お客様に無事に幸福と安寧を届けられた紫は微笑ましげに彼女の後姿を見送った。
　訪れる参拝客の喜怒哀楽を共に見守りながら、小さなドラマをひとつ、ひとつ見送ってゆく。
（――楽しそう、ね……）

「アルバイトをしてるのかい？　お疲れ様」
「有難うございます」
　ひとつ、貰おうかと普段とはあまり変わらぬ装いの永田孝文の姿に礼儀正しく紫は頭を下げる。
　アルバイト中、あまり私語はいけないだろうかと淡々とした返事と共に新年の挨拶もそこそこに、彼が引いたおみくじの結果を取り出した。
「恋愛運について書いてあるみたいだ」
「恋愛運……」
　は、とした様に紫は瞬いた。
　考文の言葉で思い返されたのは、去年、いとしい人と二人で御神籤を引いた思い出。
　美しい思い出として昇華されたそれは心の底に仕舞いこんでいたのだろう。
　言葉に出来ない様な複雑さを抱き紫は何とも言えない表情を浮かべる。

　恋愛運……末永く結ばれる。

　やった、とガラにもなく喜んだ事を憶えている。
　まるで澄んだ水の如き想いだった。余りに美しかったから飲む事も忘れ――掌から零れたことにも気付かずに居た。
　掌に籠った力を抜けず、また、と背を向けた担任を見送って紫は参拝客で溢れる本殿を見詰め、唇を噛んだ。

「……嘘つきね、神様」
　末永くなんて未来は存在しなかった。
　神が見たのは有り得たかもしれない『未来』であって、今の自分が立って居る場所では無かったのかもしれない。
　それでも――余りに残酷なほどに美しい思い出は取り零していれたならどれ程嬉しかったか。
「あなたのおかげで、こんなにも胸が痛いじゃない……」