【お正月】寝子島神社に願いを込めて｜リアクション

【お正月】寝子島神社に願いを込めて

「……ええ、はい、すみません……そんなに、遅くはなりませんので……」
　寒空に背を丸め、白い息を吐いた浅葱あやめは帰りを待つ祖父へ初詣の旨を告げた。
　電話口では常と変わらぬ祖父から了承の言葉が帰る。携帯電話をポケットに放り込み、吐き出した白い息は冬の張り詰めた空気に融けた。
　騒がしい参道は人の波がごった返す。行くも帰るも『とうりゃんせ』とは行ってられない集団は誰もが華やいでいた。

　まま、こっちこっちと手招く声音に誘われる親子連れ。固く結んだ指先を解かぬ様にと握り直したカップルの気恥ずかしい空気があさぎの眼前にはある。友人グループなのだろうか、正月の帰省を喜び合う声に背を押され、あさぎはぼんやりと石畳を見下ろした。
（寂しい……と、言うより……情けない……）
　周囲の人混みは誰も彼もが楽しげだ。対する自分は一人きり、眼鏡の奥で胡桃色の瞳が僅かに潜められた。
　吐き出す白い息は、先ほどよりも長く――空へと伸びてゆく。
　見上げた空はぽっかりと白い雲が並んでいるだけで、自分がちっぽけなように思えて浅葱は深く吐息を漏らした。

　羨ましいと言えば嘘になる。
　固い地面を踏みしめる靴裏にその感触を確かめるように、一歩ずつ彼は進む。
　家族や恋人と言った『特別』な存在を作ることはとうに諦めてしまった――一種の自虐の様に彼は眼鏡の淵に指を掛ける。
「……いや、でも」
　脳裏に浮かんだのは彼にとってのカテゴリー：友人。
　正月は何かと入用だ。迷惑になるかもしれない。ああ、でも、折角の日だ。
　逡巡する思いがどうにも拭えない。唇から漏れたのは「誘えばよかった」の言葉だけだった。
　丸くなった背をとん、と突かれる。背後に立っていた幼い少女に「じゅんばんだよ」とたどたどしく告げられて、あやめは顔を上げた。
　賽銭箱へと投げ入れた50円玉二枚。かつん、と鈍い音を立てて滑り込んでいくそれを見守って、あやめは深く息を吐く。
　遠慮がちに鳴らした鈴は乾いた音をあやめの鼓膜へと響かせた。

　――二礼二拍手一礼、と。

　丁寧な物腰に、丸くなった背をやや伸ばして几帳面に行ったあやめの切れ長の瞳は何時もと違った殊勝さを感じさせる。

（……去年は一年、見ていてくださり、ありがとうございました）
　仏頂面が何処か砕けた雰囲気にも思われる。ぼそぼそと、呟く様に心で唱えたのは感謝の言葉。
　長く伸ばした曇り空の色をした髪先が目先を擽って、青年はゆっくりと瞳を伏せった。
（今年もどうぞ、宜しくお願いいたします）
『神様』に礼を尽くすのは欠かせない。店の隅で茫と座りながらも、心根はしっかりとした青年だ。
　願いを告げようと、胸中に浮かんだ想いを吐きだす様に大きく息を吸って、吐いた。
　御縁を結ぶのならば――と願わずにはいられない。悩みながら、誓う様に想いを言葉に昇華する。
（少し……もう少し、踏み出していきたいと、思います）
　一緒に初詣に行かないかと言葉を掛けれたならば――
（今、傍に居てくれる友人を、大切にしたいと思います）
　猫の如く警戒心を持ち、打ち解けるまで長い道のりを進んできた。
　そんなあやめだからこそ、何か思う事があったのだろう。こうでもない、ああでもないと騒ぐ胸の内には相も変わらずネガティブの蟲が居座っている。
　ゆっくりと瞼を押し上げて、はたと願い込み過ぎていたかと慌てて石段を降りた。
　長い列を為す人々の群れを見詰め、振り仰いであおいは「あ」と息を飲む。
（……商売繁盛を願うのを忘れていた)
　祖父の店を潰さぬように――『どうせ自分の事を願っても』とネガティブの蟲がちくりと云うものだから、普段から願っていた商売繁盛を忘れてしまったとあやめは頬を掻く。
　手慰みに買った御神籤には『小吉』と書かれていた。

　商売……ねだん上下なし。