【お正月】寝子島神社に願いを込めて｜リアクション

【お正月】寝子島神社に願いを込めて

　旧市街は参道商店街育ち。古本屋を営む城山家の看板娘――城山水樹は喧騒の道往きを眺め、着付けの完了した自分の姿を姿身で映す。
　幼い頃から年始には寝子島神社と決めていた彼女にとって、おなじみの場所は苦い思い出を感じさせる。
　晴れ着に、髪を結い上げ飾りを付けて。艶やかに着物を着こなした彼女の手を去年引いたのは元の交際相手だった。
（願ったことも、服装も、髪型も思い出せるのよね……)
　――苦い思い出になってしまったと水樹は小さく息を吐く。
　或る夏の日が彼女の心に深い闇を落とした事は言わずもがなだ。情熱的な夜に水を差す悪いジョークのような『名前』は思い返すに残った傷をじわりと侵食する様だ。
　致命的な傷となっても、それを癒すものもある。

　たった一人で行くと思った初詣に同行者が現れたのだから――

　思わず胸が高鳴り心も躍る。大晦日は忙しいと会う事の出来なかった愛しい人。
　たった一週間と行ってしまえばそれだけだけれど、されど一週間の時間は水樹にとっては長く隔たれていたかのようで。三度目の正直とは言えなかったけれど、四度目こそはと神が与えてくれた出会いは初恋の様な甘酸っぱさを感じさせた。
　もう慣れているはず、と落ち付かせようと吐いた白い息がやけに湿り気を帯びる。
　中学二年生の頃の様だと振り仰いだ思い出が胸の中を駆け巡った。

　

「……ま、待たせたかな……って、私がここで待ってたんだっけ……なんか間抜けだよ、私……」
　頬に掛かった髪をくるりと弄り、水樹は微かに頬を染めて『彼』を見上げる。
　出生はイギリス。日本の血は母から継いだ物だという純正日本人より垢抜けた童顔の青年だ。
「明けましておめでとう。着物……似合ってるね」
　柔らかに、それでいて緊張した様に告げたヒュー・ヒューバートの何処か嬉しそうな笑顔に水樹の表情が和らいでゆく。
　聞き覚えのある深みのあるテナーボイス。
　ステッラ・デッラ・コリーナで見たドレス・コードやヴェネチアンマスクのない彼は普段着なのだろうか、シンプルなコートを身に纏っている。
　寒くないかとマフラーを差しだすヒューに水樹は有難うと受け取ろうとして、視線がかち合った事に頬を赤らめた。
（……私と同じ、目線、なんだ……）
　背丈は同じくらい。思わず赤くなった自分の頬を隠す様にマフラーに顔を埋める。
　何時の日か、感じた彼の体温と同じ、柔らかな香りが鼻先を擽って、「初詣行こうか」と誘う彼の袖をそっと、握りしめた。