君が泣いた日｜リアクション

君が泣いた日

●恵御納夏朝、または夏夜が泣いた日

　ふっと意識が浮上する感覚。
　眠っていたはずの夏朝はゆっくりと瞬きをすると、溜息を吐いてその身体をゆっくりと起こした。

「夏朝がフツウに寝てたはずなのに……何で僕が浮上して起きちゃうかな……」

　もう一度溜息を吐いたのは夏朝ではなく、彼女の別人格であるもう一人の彼女――夏夜だった。
　何か切欠がなければ自分が出てくることはないはずだけど……そこまで考えてから、夏夜は涙を流していることに気が付いた。そっと指で触れれば、まだ少し温かい。
　これは自分ではなく、夏朝が流した涙なのだろう。何か、嫌な夢でも見たのだろうか？　少し乱暴に涙を拭って夏夜はぽつりと呟いた。

「そういえば……一度だけあったな」

　過去の自分が、夏朝を泣かせたこと。
　夏朝の涙に触れたからだろうか？　夏夜は二段ベットの上から、どこでもない虚空を見つめるような目で、あの頃を思い出していた。
　忌まわしい中学前半のあの頃、夏朝は虐めを受け大事な存在を２つも喪っていた。
　ひとつは、これからたくさんたくさん大事にしようと誓った存在。
　ひとつは、大事にしていたお守りでもある白猫の縫い包み。
　それはどれほど夏朝の心を痛めつけたのだろうか。絶望はあっというまに夏朝の心を埋め尽くして、弱っていた夏朝の心を真っ黒に塗り潰してしまった。
　そして、その塗り潰された心から生まれたのが夏夜だった。夏朝の代わりに表の意識へと出て、傷付いた夏朝を癒す為に彼女を眠らせたのだ。
　それからの夏夜は夏朝の振りをしながら、それこそ暗躍という言葉が相応しい程にその手を闇に染めていった。
　色々あって、夏朝を苛めていた『あいつら』は中学２年生の１学期末のある夜に『自滅』した。それは夏夜にとって当然の結末であり、『あいつら』が支払うべき悪意の代償だ。
　その後、精神的外傷等……簡単にいってしまえばトラウマとでもいうべきだろうか、を疑われて医師の診察と治療を受けることとなる。実際に受けているのは夏朝ではなく夏夜だったのだが、そのことを医師が見抜いていたかどうかは今となっては夏夜には分からない。
　何故なら、夏休みの間に別の地域への引っ越しと転校が決まったこともあって、夏夜は夏朝から『中学前半の記憶を全部奪って』眠ると決めたからだ。
　何度目かの診察の合間に、夏夜はそっと目を閉じて意識の奥深く……それは夏夜と夏朝以外には入りえぬ聖域とも呼べる場所。自分が生まれた夜からずっと眠らせていた夏朝を起こし、一度きりと思っていた対面をしたのだ。どういった運命の糸が紡がれたのか、その後も邂逅することになるのだが。

「起きて、夏朝。朝だよ、もう君を苦しめるモノは存在しないんだ」

　だからもう起きていいんだと、夏夜は夏朝に語り掛ける。目を開けた夏朝を確認すると、夏夜はその手を握って夏朝を見つめた。その時の夏夜が無表情だったのか、笑っていたのか、それは夏朝にしかわからない。
　その手を離された瞬間に夏朝の口から、

「待って、君は……」

　と言葉が零れた。夏夜はそれには応えぬまま、忌まわしい記憶も、自分と出会ったことを含んだ全ての記憶を奪って『冷徹な僕』は深奥で眠りに付いたのだ。

「……さよなら、夏朝」

　その言葉は目覚める寸前の夏朝に届いただろうか。目を覚ました夏朝は夏夜の望み通り小学卒業後に引越した事や中学の事等は全て忘れていて……何故か、ぽろぽろと涙を流していた。
　あの時、夏朝が流した涙の理由は夏夜にはわからない、けれど自分が夏朝を泣かせたことは事実だ。

「でも、僕はあの時の選択を後悔はしていない」

　けれど、そう呟いた夏夜の横顔には夏朝が流した涙ではないそれが一筋……流れていたのだった。

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