あの日あの時。ぼくは笑顔を失っていた。その理由は………………｜リアクション

あの日あの時。ぼくは笑顔を失っていた。その理由は………………

　１　

　殆どの子供には、生活力がない。
　故に、生活環境を自分で選ぶこともできない。親の庇護の下、親の決めた場所で時を過ごす。
　多くの子供は、それでも不自由を感じないだろう。その環境を享受して、緊張やストレスとはあまり縁のない毎日を送っているだろう。だが、灯斗南は違っていた。彼の両親は若く、まだ精神が未熟だった。その２人の下での生活は、満たされているとはとても言えないものだった。
「斗南、行くわよ」
「うん……」
　小学校に上がった頃に両親は別れ、斗南は母についていくことになった。
　３人で暮らしていた部屋を離れる時、母と彼は殆ど荷物を持っていなかった。母が引くスーツケースひとつを共に、母と手を繋ぐことなく彼は寝子島の土を踏んだ。
　当時はなんとなくしか感じ取れていなかったが、両親は疲弊しきっていた。最初から愛情がなかったわけではない。ただ、愛情を注ぐ余裕が無かった。高校時代にデキ婚をし、高校を中退して実家を出た２人に世間は厳しかった。高校中退では収入の良い仕事にはつけない。
　そこには、両親が夢見ていた甘い幸福など存在していなかった。
　笑顔のない毎日。
　暖かさのない毎日。
　苛々だけが募る毎日。
　そこで、父が実家から連絡を受けた。
『妻と別れるなら縁を戻してもいい』
　――と。
　父は、迷わず母に離婚届を突き付けた。母は、嫌とは言わなかった。限界を感じていたのだろう。
　部屋は引き払われ、連れて行かれた先は寝子島の母の実家だった。母は、父と違って実家に戻ってもいいとは言われていない。だが、他に戻る場所もなかったのだろう。

　――「どの面を下げて戻ってきた」

　母と並んで畳の上に座り、正面の祖父からまず飛んできたのがこの言葉だった。祖父は元教師で、厳格だった。彼は、斗南に一瞥もくれなかった。
「すみませんでした、許してください……」
　母は、祖父より頭を高くすることなく、ひたすらに許しを請うていた。母の声だけが響く部屋で、斗南は時間が過ぎるのを待っていた。ただその場にいることが苦痛だった。ここで母が許されなければ住む場所がなくなるのだが、そういう類の心配はしていなかった。
　異常に引き延ばされた時間の後、祖父はやっと、母を許した。
　そして初めて、斗南を見た。
　好意の欠片もない冷たい目で、彼は言った。
「あの男に似ている。血は争えないな」
　内容ではなく、その口調に斗南は小さく震えた。

　それからすぐに、母は実家を出て行った。『斗南の養育費を稼ぐために本土に働きに出る』というのがその理由だったが、家にいるのが耐えられなかったのだろう。息子だけ置いていったのは、生活は保障されるという息子への愛からだったのか、単純に息子が邪魔だから置いていったのか。
　ともあれ、斗南は厳しい祖父と２人きりで暮らすことになった。
　祖父は言った。
「お前には何も期待しない。あのクズ男の血が流れているからな」
　祖父は言った。
「ただ他人に迷惑をかけるな、それ以外お前に言うことは無い」
　――冷淡に接する祖父と２人だけの生活に、暖かさなどなかった。
　両親からも祖父からもまともに愛されない中で、そんな状況に憤ることも自分の境遇を悲しむこともせず、斗南は日々を過ごした。
　ただ、何もかもに興味を失い、無気力な人間になっていった。

　ろっこん、イグニッションハートに目覚めるまでは。

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