戦い｜リアクション

戦い

　歪な形の黒雲が空に犇めいている。吹く風は相応に冷たい。八葉あいらの茶色いサイドテールがぷるぷると震えた。雪のように白い純白のドレスの腕を頻りに手で摩る。
「ここは、寝子島なのか？」
　怯えを含んだ赤い瞳が警戒心を強める。それらしい街並みに首を傾げながらも納得したようだった。
「早く帰らないと」
　視線は空へと向かう。大粒の雨が落ちてきそうな空模様に自ずと足は速まった。
　歩きながら表情が明るくなる。目的地は近いのかもしれない。
　あいらは不意に足を止めた。直線の道は大勢の人々の往来で寸断されていた。
　行列の左右に目を向ける。どちらの方向も尋常ではない長さで先が見えなかった。
　あいらは正面を向いた。頭と目を頻りに動かす。抜けられるような隙間はなく、小さく溜息を吐いた。
「でも、この先に――」
　強張った表情であいらは一歩を踏み出した。歩いていた人々が一斉に立ち止まり、瞬間的に顔を向けた。獣の眼が少女の全身に集まる。
「どうして」
　声が上ずった。震える膝で、半歩、後ろに下がる。
　唐突に猫の鳴き声が聞こえてきた。あいらが足元を見ると、猫の輪郭をした光が目に留まる。
「猫なのか？」
　一声鳴くと四肢を動かして前に出る。途中から一気の加速で行列に突っ込んだ。強い光に当てられた人々は両目を掌で押さえて左右へと逃げる。
　光の刃が行列を断ち割った。目にした直後、今度はあいらが飛び出した。切り裂かれた空間を必死の顔で走り抜ける。
　待ち構えていた光が巨大化してあいらを瞬く間に包み込んだ。

　短く息を吸い込むような音で、あいらは瞼を開けた。
「また、あの夢か」
　掛布団を手で押し上げた。少し遅れて上体を起こす。首の辺りを手で触ると少し湿っていた。
「夢の中で走ったからか」
　目が覚めても夢の内容は記憶に残っていた。口の端に自虐的な笑みが浮かぶ。
　それなのにあたしは悪夢の原因になったあの日のことをよく覚えていない。でも、何かが変わってしまった。
「家族は大丈夫なのに」
　ぽつりと口にする。やや遅れて身震いを起こした。あいらはパジャマ越しに二の腕を懸命に摩った。
　行列の人達が怖い。思い出しただけで身体が震える。家族は大丈夫なのに。学校の先生や友達は知っている人だから。
　でも、知らない人は怖い。近づくだけでも怖いんだ。
　表情が泣きそうになる。縋るような目を周囲に向ける。カーテンの合わせ目から光が射し込んでいた。
　あいらは光を見詰めた。
「夢の中の猫みたい」
　見る間に表情が和らぐ。
　あんなに嫌いだったお化けが、今ではそんなに苦手じゃない。夢の中で何度も助けて貰ったからかな。
「そうかもね」
　軽く口にしてあいらは出掛ける用意を始めた。

　朝日の中、あいらは外に出た。夢の中と同じで知らない人々が通りを歩いている。
　あたしは今日も戦う。
　怯えた表情は胸の深いところに沈めた。小さい身なりで赤い目に闘志を燃やす。
　その時、横手から猫の鳴き声がした。民家の塀の上で白猫が背筋を伸ばすような格好をしている。
「おはよう」
　あいらは距離を保ったまま、明るく声を掛けた。白猫は何も答えずに尻尾を振りながら離れていった。
　ここにあの猫はいないんだ。会えないのはわかっている。でも、白猫って明るいところだと光って見えるんだな。
　あいらは白猫とは別の方角に向かって元気に走り出した。

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