寝子島大橋をわたって～晩秋｜リアクション

寝子島大橋をわたって～晩秋

「ちょうどいい感じに、お腹がすいてきたな……」
　山下公園で、停泊中の氷川丸を見物していた羽生碧南は自分のお腹をさすった。健康優良児なので、動いた分だけお腹が減る。ここから中華街までは目と鼻の先だ。
「のんびり歩いて、そこで中華まんでも食べに行こう」
　中華街に入ると、早速手近な屋台で肉まんを買う。時節柄、湯気のたった肉まんは普段の数倍美味しく感じる。
「甘栗も買っちゃおう！」
　店先で売られている焼売やゴマ団子の香りが食欲をそそる。食べ過ぎは良くないと分かってはいるが、今日だけは特別だ。
　のんびりと歩いていると、中華風雑貨の店があったのでふらりと立ち寄ってみた。
「チャイナドレスか……これ可愛いな」
　鮮やかな紅色に、金の刺繍で花模様のついたチャイナドレスを見つめていると、店員のおばさんに声をかけられる。
「お嬢ちゃん、試着していく？」
「え、いいの？」
　お言葉に甘えて、碧南は試着室に入る。鏡に映ったチャイナドレス姿の自分に思わず見とれるが―――
「……年末ニャンボ宝くじが当たったら、買おうかな」
　値段を聞いて、諦めた。

「―――さて」
　雑貨屋を出た碧南は、時計を確認する。
「暗くなる前に、帰ろうっと」

「わぁ……高い」
　河野一霞は、レンタルショップの料金表を見て残念そうな声を上げた。
「着いたら釣りでもしよっか、って思ってたのに……」
「仕方ないよ、往復の船代もあるから。無駄遣いはできないわ」
　木次要が一霞を慰める。
「中学生のお小遣いで気軽に払える額じゃないわね」
　二人は、連絡船に乗って猿島に着いたところだ。
「うーん、バーベキューも事前予約がいるみたいだし、海に入るにはもう寒いし……」
「昔、この島は要塞だったんだって。島を散歩するだけでも楽しいわ、きっと」
　要に促され、一霞も歩き出す。砲台や弾薬庫などの跡地があり、日本ではなかなか見られない不思議な風景が広がっている。要は、廃墟のようになったレンガ造りの建物を興味深げに見ているが―――
「なんで無人島なのよ……」
　一霞はぶつくさ言いながら要の後ろをついてきている。
（もしかしたら、河野さんの趣味じゃなかったのかも……）
　猿島に誘ったことを少々後悔する要だった。
「なにあれ、『愛のトンネル』？」
　一霞は、ぽっかりと黒い口を開けている古めかしいトンネルを指さした。要が近づいて、案内板の文字を読む。
「中が暗いから、カップルが入ると必ず手をつなぐので『愛のトンネル』なんだって」
「ふん、『愛のトンネル』なんて―――今の私には一番不似合いだわっ」
　トンネルから顔を背け、口を尖らせて文句を言う一霞を、要は横目で眺めた。こうやって元気に文句を言っている姿を見ると、無人島散策も少しは気晴らしになっているのかもしれない。
「あぁ……帰りたくないなぁ」
　一霞は、蔦の生い茂ったレンガ造りの壁に寄りかかって呟いた。
「船に乗らずに泊まっちゃう？」
「帰りたくないと言われても、ここは宿泊禁止なのよ？」
　一霞の言葉に、要は思い切り現実的な台詞を返す。
「帰らないとしょうがないわ」
　あまりに身も蓋もない返事を聞いて、一霞はふくれっ面をした。
「冗談よ……要ってばつまんなーい！」
「つまらないと言われてもそういうものよ、河野さ……一霞」
　要は、台詞の途中で相手の呼び方を改めた。今日初めて、一霞が自分のことを下の名前で呼んだことに気づいたからだった。