狭間の日｜リアクション

狭間の日

　――拒絶の日々を送っていた。彼女と、マトコと出会うまでは。

　目を覚まして自身が《狭間の日》の只中にいると理解するや、環的子はがばと跳ね起きた。
（こういう日、ずっと待ってた！）
　昨晩、カプセルギアN.E.O.M.Uを寝る前に置いた、そのはずの場所を見る。
　そこにN.E.O.M.U――ネオムの姿がないのに、的子はぱあっと瞳を輝かせた。
（やっぱり、ネオムなんだ！　スマホで動かさなくても動くネオムに会える！）

（ネオムとお話できるんだ！）
　楽しみだなぁ……！　と、胸を弾ませながら、的子は視線を巡らせて――、
「ネオム！」
　会いたかった、その相手の名前を呼んだ。
　ぎゅるり、ネオムの首が、人間にはおよそ不可能な回り方をして、
『……』
　目や鼻を持たぬその顔が、的子を真っ直ぐに捉える。
　ネオムは、的子が知るままの姿をしていた。
　けれど、背はぐんと高い。身長は２ｍを超えているだろう。
　己の意思で自在に動ける器を得たネオムの元へ駆け寄ることを、的子は微塵も躊躇わなかった。
「ネオム、おはよう！　……えっと、話せる？」
　的子の言葉に少し考えるふうに小さく首を傾けて、長い舌をしゅるんと仕舞うネオム。
　閉じられた口の奥から、低く、音が漏れ出でる。
「……？」
　グルル……、ギチギチ、シャァー……。
　その音達を耳に聞いているうちに、的子はハッと得心する。
（そうか。これが声。ネオムには、話すのが元から難しいんだ）
　的子は、ぎゅっとネオムの手を握った。
　大好きなネオムに、無理をしてほしいわけではない。
「大丈夫だよネオム。きっとまた……」
　的子が、奮闘を止めないネオムに対して音を紡ぎかけた、その時。
『グ……ガ、ァ……』
　唸るような声の調子が、僅かに変わった。そして。
『マト、コ』
　低音が、確かにそう《言葉》を形作る。
「……あ。喋った！　私の名前！」
『グ、ギ……マ、トコ……』
「うん、うん！　頑張ってくれたんだね！　嬉しいなぁ。ありがとう、ネオム！」
　にこにことして、的子は声をも華やがせる。
　ネオムが名前を呼んでくれる。他の言葉がなくても、的子にはそれで十分だった。
「ねえ、ネオム。今日は……ううん、今日も、いっぱい遊ぼうね！」
　ネオムが、返事をするように唸り声を上げる。
　的子は、握ったままだった手を、ネオムを誘うように繋ぎ直した。
「そうだ、庭の薔薇の花がね、綺麗に咲いて星みたいなの。ネオムと一緒に見たいんだけど……」
　どうかな？　と首を傾ければ、ネオムは軋むような音を口から漏らして、
「わっ！」
　的子の身体を軽々と持ち上げ、ひょいと己の肩に乗せる。
「あはは、今のネオムは大きいから、これじゃ私、庭に着くまでに何度も頭ぶつけちゃうよ！」
　グガ？　とネオムが首を傾げる中、的子はころころと笑った。
　ネオムと一緒に過ごす時間が、楽しくて、嬉しくて。
　そうして２人は、庭の花畑へと向かった。

　――彼女は微笑み、私を綺麗だと言う。戦闘では私の機能を熟知し活用してくれる。
　――彼女が読む本を聞き、共に映画も観た。夜、彼女が声を殺して1人で泣く姿を見て、

　――いつからか、私は軋み始めた。

　的子の頭に、赤が、白が、青が、黒が、ふわふわと降り積もる。
　ネオムが、手ずから摘んだ薔薇の花びらを、柔らかく的子の頭上から降らせたのだ。
「えへへ、ネオム、ありがとう。……そうだ、ネオム、ちょっと屈んで？」
　瞳を煌めかせての的子のお願いに、ネオムは不思議がるような仕草を見せながらも迷うことなく従った。
「ほら、お返しだよ、ネオム」
　今度はネオムの上に降り注ぐ、薔薇の雨。
　楽しい時間は、瞬く間に過ぎていって――、
「もうこんな時間……ネオム、今日はありがとう。私、もっと強くなるから！」
　ろっこんで伸ばした白の髪を風に靡かせながら、的子はそう宣言した。
　すると、ぬっと伸びたネオムの片手が、的子の身体を優しく抱き上げて。
　そして、的子の両手をそっと重ねて包み込む、もう片方の手。
　ネオムの顔が、的子の顔に近付き――触れ合う寸前で、ふっと伏せられた。
「ネオム……？」
　何か、自身でも把握できないものが頭を掠めて、的子はネオムの名前を呼んだ。
　強いて言うならば、感じたそれは《違和》。
（……私の勘違い？）
　淡い水色の瞳を瞬かせる的子の前、ネオムはまだ顔を伏せている。

　――苦しめたくない。
　――苦しい。

　――……愛している。

　身体は、勝手に動いていた。
　ギリギリのところで止まるを選んだのは、ネオムが、的子を第一に思っているが故。
『……マトコ』
　名前を、呼ぶ。どうしたのネオム、と、愛おしい声が降った。

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