あの日のあとで｜リアクション

あの日のあとで

　ピンク色の異世界を後にしてから、卯木衛にはずっと考えていることがある。
（っつーことで、動物園に来たわけだけど……）
　賑わう園内を、衛はひとりで巡った。
　辿り着いたのは――黒豹達の檻の前だ。
　こちらを見つめる、檻の向こう側の黒豹へと、衛はぽつり、音を漏らした。
「君らも病気とか怪我とかすんだよな……人間だって普通に風邪とかひくし」
　返事はない。けれど黒豹は、聡い眼差しで衛をじぃと見つめている。
（でも、もしこの子たちが目の前で怪我しても……俺一人じゃ何もできない）
　衛は仄か目を伏せて思い出す。
　あの異世界で出会った、翼獣達のことを。
　衛達が懸命に治療に当たり沢山の命を救った、翼ある仲間達。
　けれど、全ての命を掬い上げられたわけでは、なかった。
「……たまに思うんだ。後悔してるわけじゃない、あの時も全力だった」
　何度も声を掛けながら、全身全霊、力を尽くした。
　けれど衛は、「もしもっと俺に知識があれば」と考えずにはいられないのだ。
　過去を変えることはできない。けれど。
「そしたら、あの後助けられた以上に、もっともっと彼らを助けれたんじゃないかって……」
　そんな想いが頭から離れないのだって、きっと、仕方がないこと。
　だって衛は、彼らの温もりを、じかに知っているのだから。
　そっと、手を伸ばす。
　檻は、厳然として衛と黒豹達の間を隔てているけれど、そうせずにはいられなかった。
　自分よりも知識があった、故に、より多くを救った彼女の姿が頭を過ぎる。
　そうして衛は――あの異世界で、ずっと自分を助けてくれていた相棒のことを想った。
（――カイくん）
　胸の内に、名前を呼ぶ。
　自分を見つめる黒豹の眼差しが、翼獣カイのそれと重なって見えた。
　再会を誓ってドックタグを託した衛に、くぅ、と何度も何度も鳴いて応えた衛の相棒。
（カイくん、俺、救える強い人になりたい。戦える強い人より、救える強い人に）
　そして――君たちや、他の全部の生き物が大変な目にあった時に、助けられる人に。
　それが、衛が掴み取った願い。
　そうして衛はそれを、ただの『願い』で終わらせるつもりはない。
　そっと、目を瞑る。
　あの世界で共に在った温度が、息遣いが、眼差しが、すぐ傍にあるような心地がした。
　くぅ、と鳴く声が、今も耳に残っている。

（俺――……獣医になりたい）
　――チャリ。
　ドックタグが鳴る音が、聞こえた気が、した。
（……よし。まずはもっと勉強しよう）
　もし次に会えた時に、彼に自慢できるような自分になれるように。
　衛は、黄色の瞳を煌めかせて、ぐっと拳を握った。
「生き物の事も、医学も、全部全部いっぱいがんばって学ぶぞ！！」
　今は胸にないドックタグ。忘れられない、遠く遠くにある温もり。
　手の届かないところにある存在達が、衛の視界をじわりと滲ませたけれど、
「うー……寒くてはなみず出てきた」
　と、衛は乱暴な手つきを以って、自身の手の甲で顔を拭った。
（……ああ、そっか）
　自分が寝子島に帰ってきたのだということを、改めて実感する。
　耳心地のいい喧騒の中、衛は、暫くの間立ち尽くしていた。

　そしてまた、後日。
　衛は、生物室前に立っていた。目的は、生物部だ。
　そして衛は、その扉を、開いた。
「えーっと、特に興味がある生物は大型獣？　っていえばいいのかなー」
　あの音が聞こえる。衛を呼ぶ声が聞こえる。
　それらが、衛の背中を、確かに押してくれる。
「生き物のことこれから色々学ぶってカンジになるんだけど、よろしくおねがいしまーす！」
　元気の良い挨拶が、室内に小気味良く響き渡った。