「ぐっすり眠れる秘訣教えてやる。女に膝枕してもらえ。骨が浮くほど痩せてたんじゃだめだ、太腿と膝はむっちりと肉付きいいのがベストだ」
「うるせえ」
「童貞にゃ無理な相談か。今度女紹介してやろうか」
「余計なお世話」
「意地張んなって」
「死ね」
「生憎と死ぬ時は腹上死って決めてるんだ」
壁に凭れて軽く笑ってから、眼鏡越しの目にふと真剣な成分を含有する。
「俺が中国語わかんなくてよかったな」
「え」
「寝言。なんか言ってたぜ。……心当たりあるか」

『僕が男の子でごめんなさい』

「……ねえよ、別に」
ひたと挑むような凝視に虚勢を看破され、よわよわしく俯いて嘘を吐く。
「そうか」
「そうだよ」
会話が続かない。
すれ違い空回る平行線。
息苦しさを覚えてそっぽを向けば、男が背広の内側に手をやり、くしゃくしゃに潰れた煙草の箱を掴みだす。
「めんどくせえガキ」
関節と長さのバランスが絶妙な指に煙草を挟んで喫い、目を眇めてうっそりと紫煙を燻らせる。
そうすると常の鋭い印象がさらに研ぎ澄まされて、油断なく底光りする目の奥で、酷薄さと紙一重の計算高さが冷えた剃刀の如く閃く。
なにもかも見透かされているようで居心地悪く胸が騒ぐ。
男はそれ以上何も言わず退室しようとしたが、最後に一言だけ付け加える。
「寝る時は毛布くらい掛けろ。腹冷やすぞ」
「はあ？」
完全に意表を突かれ、間抜けた声を脳天から発した時には既に男の姿は消えていた。
コンクリートで固めた地下通路を次第に遠ざかって行く靴音に脱力し、もそもそと二本目の煙草に手を伸ばし口に銜える。
ひょっとして、弱みを掴まれたんだろうか。
らしくねえと苦々しく自嘲する気分とは裏腹に、あの男ならいたずらに吹聴したりはしないだろうと信頼めいた安堵感を抱く。
信頼？馬鹿な。
「……どうかしてるぜ」
からかって遊んでるだけだろ、絶対。
おちょくられた腹いせとばかりいつにも増して苦い紫煙をおもいっきり吸い込んで咳き込めば、反射的に涙がこみ上げて天井がおぼろに霞む。

どうやら自分はまだ、神無月文貴という男を理解できないようだ。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　終



ＰＬ
組長と情報屋の日常の一コマ。
左上の番号に沿って１→２→３→４と読んでください

「ほっとけ。今日も門限破ってどっかほっつき歩いてるよ」
「相変わらず嫌われてんだ。うける」
「前言撤回しろ。嫌われてんじゃねえ、避けられてんだ全力で。ひーちゃんは今難しい年頃だからな、男親にゃ話しづらいこともあるんだろ、いろいろとさ」
「詭弁だな。嫌ってるから避けるんだろ、現実を見ろよ。それとも何、俺に娘の居場所聞きにきたの」
「知ってんのかよ。まさかてめえひーちゃんを売りとば」
「冗談、あんたの娘に手えだすほどおちぶれてねえ。第一俺は情報屋、人身売買の斡旋は専門外」
女嫌いだしな、と心の中でだけ付け加える。
女嫌いだもんな、と男が疑り深く念を押す。
「そんなに気になるならＧＰＳで追跡しろよ」
「そっこー着信拒否される」
「はっ」
結論、どうしようもねえ親ばか。
「あんたさ、友達いねーの？だべりにきたなら他あたってくれ」
早く追い払いたい一心でそっけなくあしらえば、悪い企みを秘めた笑顔で手招きされる。
「ちょっとツラ貸せ」
嫌な予感は禁じ得ないものの断ったら断ったで後が怖い。警戒しつつもいいなりに顔を寄せれば、不意に手が伸びてくる。
「！？いででっ、」
ぐいと頬をつねられる。
たまらず呻いて身を引けば、今しがた劉の頬にお灸を据えた男は、まんまと悪戯に成功したガキ大将特有のやんちゃな笑みを浮かべている。
「何すんだよ！？」
「ちょっとは血色よくなったろ。ひっでえ顔してたぜ、お前。鏡見ろ。ああ、ねえのかここは」
さらにドＳで俺様ときた。
殴られた上につねられて赤く染まった頬をさすりさすり、懇願に近い口調で訴える。
「本当にもう頼むから帰ってくれ」
「言われなくても退散するさ、こんな女っ気のねえ場所に長居する理由はねえ」
何しにきたんだよ。いやがらせかよ。
自分から帰れと促しても、いざ帰ると踵を返されるとそう突っ込みたくなるのが人情というもので。
あっさりと身を翻し立ち去っていく背中を途方に暮れて見送れば、入口の手前で立ち止まった男が思い出したように振り返る。

「……人の寝顔見て面白え？」
「間抜け面で笑えた」
「見物料請求するぞ」
「一時間十円？」
「安すぎ」
「相場だろ。ひーちゃんの寝顔なら一時間百万の値打ちはあるが。見るか？」
「隠し撮り？ドン引き」
「馬っ鹿、小さい頃のだよ。肌身離さず持ち歩いてるんだ。この天使の寝顔が目に入らぬかってな」
「出してもひれふさねーから。ご隠居の印籠並に濫用してると効果が薄まるぜ」
「写真は色褪せてもひーちゃんの可愛さは不滅だ」
見るかといそいそと背広の内に手をやるのを冷ややかに制し、無意識にテーブルを手探り煙草を引き寄せようとする。
男がそれに気付き、手前に転がっていた潰れかけのソフトパックを卓上に滑らせる。
阿吽の呼吸で這わせた手の中に滑り込んだ箱から一本抜き取り薄い唇の端にひっかけ点火、深々と一服すれば漸く人心地がつく。
五臓六腑に染みわたる紫煙の美味さに酔いしれつつ、オレンジ色に爆ぜる穂先から立ち上る紫煙を目で辿る。
「で、用件は」
「暇潰し」
「ああ？」
ヤクザってンな暇なのかよ。
胡乱なジト目で睨んでやれば相手は実に楽しげに笑う。打てば響く痛快な笑顔。
「そうつれなくすんな、俺とお前の仲だろうが」
「情報屋と客の腐れた縁だろ」
「それが命の恩人に言う言葉か」
ドブに流したい過去を蒸し返され、苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む。
この男……神無月文貴と出会ったのは数か月前、まだ肌寒い春先の宵。
命からがら横浜から落ち延びたものの銃撃で負傷し、埠頭の倉庫街を足をひきずりつつ徘徊していた劉を助けたのが偶然車で通りかかったこの男だった。
「寝苦しそうだったが、何の夢見てたんだ」
まただ。
寸手で舌打ちを堪え、顔を顰め辟易する。
こいつは最初に出会った時からちっとも変わってない、いつだってずけずけと人の心に土足であがりこんでくる。
「関係ねえだろ」
「関係はねえが、興味はある」
にやつく顔にどす黒い殺意が沸き立つ。しかし真っ向から口答えする勇気はなく、またそうしたら拳固で小突かれるのは経験則で予知できるため、意地悪く嗤う男から卑屈に顔を背け、世間話を吹っ掛けるような軽さであてこする。
「娘元気？」
効果覿面、男の顔がひくりと引き攣る様を横目で認め溜飲を下げる。