ジェームズ・ブレイク一等兵曹はその日、防弾装備の施されたSUVの助手席に座っていた。
中身のくり抜かれたダッシュボードにはドイツ製のサブマシンガンのMP7A1が、手元にはゴテゴテと装備品が取り付けられたDD-M4カービンがあり、太股のホルスターには信頼性に富むグロックが差し込まれている。
夜のイラク――それもこの糞狭い路地で動くものは皆無だ。まるで動くこと自体が罪であり、こんな夜中に動き回っているアメリカ人は悪だとでも言いたげな雰囲気だと、ブレイクは被害妄想気味にそう思った。
昨日、文字通り心身ともに疲弊したブレイクにもたらされたのは、妻から離婚したいという衛星電話が一本と、クソッタレのテロリストがぶっ放した砲弾が三発と、数カ月前酒場で殴り倒した男からきた告訴状のコピーくらいなものだった。
出来事と言えば、お前がしたいようにすればいい、とブレイクが吐き捨てるように言い、それきり衛星回線がぷつんと切れたことくらいだろうか。告訴状の方はなんとかなるはずだとブレイクは踏んでいる。天下のSEALsに喧嘩を売る奴が悪いのだ。
帰国したらまた同じ酒場に行って、SEALsがどんな奴らか今度こそ徹底的に教えてやるとブレイクは思った。
一方その隣では、〝チーフ〟がゆっくりとSUVを道の隅に停車させ、無線機に声を吹き込んでいた。ブレイクは彼と作戦本部のやり取りを聞きながら、愛銃DD-M4カービンを手に取る。
チーフは、ブレイクよりも年齢も階級も上のベテランだった。髭も髪もブレイクより毛深く、身長は170センチ代にも関わらず体全体が筋肉でできているかのように素早く、頼れる男、それがチーフだ。
そんな男が俺をバディに選んだのだから、俺も相当のベテランになったってことかと、ブレイクは思った。気付けば、もう30近いのだ。
「こちら2-1配置についた。指示を」
『待機しろ2-1。1-3が未到着。5分待て』
「2-1了解。待機する」
通信を終えると、チーフはふんっと鼻を鳴らしながらブレイクに視線を投げた。なにか言いたげなチーフを目にして、ブレイクは肩を竦めて首を横に振り、平静を装いながら言った。
「まだ逃げてないはずだ。少なくとも荷造りに24時間はかかる。――あと23時間だな」
「ジム、クソみたいな冗談で俺をまけると思ったのか? ふざけるなよ小僧。お前、自分が何をやったか分かってるのか? SEALsは家族だ。だがな、それ以上に自分の家族は大事にするものだ」
「分かってる、チーフ。心の中では俺だって大事にしてやろうと思ってたんだ。それで、この様なんだ」
チーフが怒っているのをブレイクは感じた。サングラスの奥、深い青を讃えた双眼が今にも俺を睨み殺そうとしていると、この数年修羅場を共にしてきたブレイクには分かる。
SEALsは一つの大きな家族だ。本当の家族にすら言えない戦場を共にし、ハードパンチャーの拳となって敵を打つ。命を預け合う血のつながりを持たない、何者も分かつことなどできない家族なのだ。
だが、個人の家族はそれよりも大事な筈だった。大事にしてきたんだと、ブレイクは思った。そしてこの様だ。もうなにも打つ手がない。やり直すことなど、もう二度とできやしないだろう。
「――すまない、チーフ。こればっかりは後にしてくれ。俺だって平気なわけじゃないんだ」
「ああ、そうだろうとも。一番辛いのはお前だろうさ、ジム。だからこいつを片付けたら、俺に話せ。それで楽になる」
「そうするよ、兄弟。恩に着る」
チーフがブレイクの肩を叩き、ブレイクは申し訳なさそうに肩を竦めた。
束の間の無駄話が終わると、それが終わるタイミングを見計らっていたかのように、作戦司令部からの無線が流れる。
『1-3が到着。2-1、行け』
「こちら2-1了解。突入する」
チーフがギアをドライブに入れるのと同時に、ブレイクはDD-M4の薬室に5.56㎜弾が装填されているのを確認し、安全装置を外す。
暗視装置が取り付けられているヘルメットを被り、ダッシュボードのMP7A1を胸部に装着した大型拳銃用のホルスターに突っ込み、準備完了だ。
来るべき戦闘を前にアドレナリンが吹き出し、恐怖がちらりと胸の内を過ぎる。恐怖を感じない兵士など役立たずだと、ブレイクは知っている。真の兵士は、恐怖を抑制しなお前進し続ける者のことを言うのだ。
「やってやろうぜ、相棒」
とチーフが言った。アクセルを踏み込み、なんの変哲もなさそうなイラクの一軒家の正門に向けて、漆黒のSUVが急加速して突っ込んでいく。
ブレイクの目の前に薄い鉄製の扉が広がり、破砕音と共に衝撃が身体を突き抜ける。金属と金属が擦れ合う音を聞きながら、SUVは正門を貫いて塀の内側に入り込んだ。
ドアを開け放ち、ブレイクは暗視装置越しに人影を見た。手には銃らしきものを持ち、彼の眼はこちらをぼうっと見つめている。なにが起きたのか理解もできていないだろう。
お前はラッキーだと、ブレイクは思った。そして引金を引いた。
―――
「制圧完了、オールクリアだ」
『良い仕事だ2-1、1-3。そこは当たりだったか?』
いつもの制圧作戦――ブレイクはこれを「家宅捜査及び住民の強制排除」と呼んでいる――を終え、チーフとブレイク、そして1-3のコードネームで呼ばれるSEAL隊員らは、制圧した住居の大部屋に集まっていた。
そこには大きな机があり、その上にはシートが敷かれ、大鍋やプラスティック製のゴミ箱などが並んでいる。そしてその横にはプラスティック爆薬らしき白い粘度のような物体と、信管、そして色とりどりのコード、先進国から格安で叩き落とされた携帯電話があった。
それらはすべて日用品などではない。大鍋やゴミ箱に袋を入れ、その中に爆薬を詰め込んで電気信管を取り付ける。有線か無線か、使用条件によって変更し、所定のポイントに仕掛けて米軍やらなにやらが通り過ぎるのをじっと待つ。
「卑怯者どもが」
ブレイクは思わず、吐き捨てるように言った。
即席爆破装置――通称IEDによる攻撃で命を落とした兵士たちのことを考えれば、ブレイクの言葉ももっともだ。
しかし、ブレイクの胸の内は複雑だった。彼はあまりに多くのものを見すぎた。爆弾を運搬するのはなにも若者だけではなく、老若男女を問わない。
もちろん、ブレイクを始めとする狙撃手はそういった人物を目撃すれば撃つ。撃ってはならないような人間まで、ブレイクは撃った覚えがあった。
これが殉教ってやつかと、ブレイクは思った。
「どうやら当たりのようだ。地図と作りかけのIEDがある。待て、ジャック。そいつはなんだ?――ああ、簡易迫撃砲だな。間違いない。当たりだ」
『了解。後は陸軍の仕事だ。撤退しろ』
「了解。SEALは撤退する」
チーフが通信を終え、ハンドサインで撤退を合図する。
ブレイクはマガジンを一度外し、弾が残っているかを確認した。セミオートのトリプルタップで数人を撃ったため、マガジンの残弾が心もとない。
仕方なく、彼はマガジンをマグポーチに入れ、新たにマガジンを装填した。即座に使える弾数が大いに越したことはない。
ブレイクとチーフは家を出て、SUVに乗り込んだ。ブレイクは助手席でDD-M4を構え、いつ襲撃があっても大丈夫なようにしていた。
しかし襲撃はなかった。チーフがギアをドライブに入れ、アクセルを踏む。エンジンが唸りを上げてタイヤを回し、砂塵が撒き散らされる。
SUVが現場を離れると入れ替わりに陸軍のハンヴィーが到着した。工兵と思しき兵士が家の中へ入っていくのが、サイドミラー越しに見えた。
「さあ、我が家に帰るぞ小僧」
とチーフが言った。口元には笑みが浮かんでいるが、それが本当の笑みなのか、はたまた顔が引きつって笑みに見えるだけなのか、判別できる奴は誰もいない。
恐らく、俺もそうなのだとブレイクは感じた。アドレナリンが吹き出し、乳酸が筋肉に溜まる。感情が麻痺してなにもかもが虚構に見え、なぜか俺たちはそれを面白おかしく感じるのだ。
「俺の話を聞いてくれるって約束を、果たしてくれよ兄弟」
「当たり前だ。俺たちSEALは家族――」
瞬間、光がブレイクの視野を奪い去り、熱の塊が彼をぼろぼろに引き裂いた。
なにが起こったのかブレイクには理解できなかったが、熱の塊に引き裂かれたブレイクは自分がどうやっても死ぬだろうと言う予感があった。
左足の感覚がない。両目が見えない。背中がぱっくりと割れたように痛い。右の大腿部にはなにかが刺さっている感覚があり、そしてなお悪いことに、ブレイクは撃たれていた。
まるでヘヴィー級のハードパンチを食らったように、被弾したブレイクの肺から空気が叩き出される。左腕になにかが突き刺さり、感覚がなくなっていく。激痛と恐怖が、暗闇の視界で彼を包み込んだ。
寒い、とブレイクは思った。誰か暖めてくれ。俺を――誰か助けてくれ、と。
彼が覚えているのは、そこまでだ。
―――
ブレイクは生きていた。五発の即席爆発成形弾でSUVをジャンクにされ、左足と左目を失い、火傷と裂傷を負いながらも、奇跡的に生き残った。
血塗れになり煤だらけになって、文字通りボロ雑巾のような有様でSUVの残骸から引き出されたブレイクを止血したのは、自らも重傷を負っていたチーフだった。
チーフはブレイクの傷のいくつかを止血し、トラウマキットの止血剤をブレイクと自分の傷に振りかけた後、意識を失い、そのまま二度と目を覚ますことはなかった。
ジェームズ・ブレイクは車椅子姿で、SEALとしてチーフ――ライリー・フォックス2等准尉の葬儀に参列し、その棺桶に信頼の証であるSEALsのエンブレムバッジを打ち込んだ。
今や妻も子も、ブレイクの家にはいなかった。荷造りをして出て行ったのだ。自分の家族を失い、ブレイクは人生を捧げるつもりだった第二の家族の元から、離れなければならなくなった。
義足で隻眼では、SEAL隊員としての誇りが残留を許さない。世界最高のチーム、人生最高の家族、そして人生最悪の分岐路であるSEALsから、ブレイクは去った。
日本の寝子島で、人当たりのよさそうな外国人が釣りをしたり野宿をしだしたりするのは、それからもうしばらく経ってからのことになる。