夜が好きだった。白昼賑わう時間は口喧しく、雑音にしか思えなかったから。
夜が好きだった。貴方が唯一私に縋り付ける免罪符の闇をくれるから。
夜が好きだった。…私でも、貴方を朝へ連れて行けると、信じられたから。
それが神様の気紛れで、終焉の夜となることを知らない日もあった。
誕生日は特別だった。あの約束をした日から。
人気アイドル「Sandalphon」の片割れ、梨宮愛燈。「オレっち」だの「お兄さん」だのと世話焼き好きを裏付ける様な一人称を用いていた彼はその実同い年、そして私よりも誕生日が遅い人だった。
アイドルにスキャンダルなど論外。若さゆえの好奇心なのか「なぁなぁいいだろ?」と飲酒への誘惑を私にかける彼を私は当然許さずその都度説教をかまし、説き伏せていたあの頃。
もう何度目かも分からぬ説教をしたある日、彼は急に正座を崩さぬまま私に真剣な眼差しを向けた。
「なぁ、フィン」
「…何です、また下らない事を言うのであれば追い出しますよ」
「待って、真夜中にアイドルを外に閉め出すとかやめて」
「ふん、ださい下着でも履かせて下着一枚で放り出しましょうか」
「お前ホント陰湿さMAXの嫌がらせ好きな。…もう、分かったから」
「マナ?」
「もう未成年の内から飲みたいなんて言わねーよ。ただ、約束して欲しいんだ」
「約束、ですか」
「そ。お前酒に良い思い出無いっぽいしそうなりゃ俺が誘わないと一生飲まねーじゃん。俺が飲める歳になってお前を誘うならいいだろ。…3月23日だ。2人とも20歳になる、俺の誕生日。…その日、俺と酒を飲んでくれよ」
半ば内弁慶であった両親が幼かった私の前でも構わず激しい喧嘩を始めた元凶の殆どは宅飲み派2人が飲む酒だったから確かに酒に良い思い出は無い。
社会には付き合いなるものもある。元々コネクションが物を言う世界だとも分かっている。ただ、自分の性分が、そして最初を恐れる気持ちが彼を窘めるよりも半ば拒絶交じりの行動をさせていたのだろう。
どうやら見抜かれていた様だ。何度も同じ事を言い続けたのは試したつもりか。
「…まだ6月でしょう」
「何が何でもオフもぎとる。過ぎてもいい」
普段は凪いだ色味だと思うのに、こんな時だけ猛禽を思わせる硬質な光を伴った鳶色の双眸に射抜かれる。
絆されるような意味でなく、本来勝てる相手ではないと思い知らされるこの瞳に弱かった。
もう少し、不器用だったら良かった。けれど、もう少し上手だったら良かった。
カメラの前では仲の良いフリ、信頼し合うフリ。
「おはようございます」の挨拶だって、お互いにだけはただの「おはよう」。
周囲を騙そうとする嘘が自分や相手まで騙してしまって、いっそ取り返しのつかない傷なら癒そうと思うのにそれもしないまま。何度秒針が靴音を鳴らして急かしてくれても動かなかったのは確かに私だ。
「今日から3月。世間的にゃ卒業シーズンかー…」
「私達はもう学生ではないでしょう」
「まぁな。んでもこう、別れの季節じゃん?一曲書きたくならねぇ?別れの切なさとかさ」
「私はそうは思いません」
貴方が生まれてきた日は確かにこの月にあって、それが呼んだのは別れではなく出逢いでしょう。
歌うなら、もっと温かな、愛の籠った歌がいい。
そう告げる筈だったのに。
「お前何でそう可愛くねーことばっか言うかな」
「!マナ、」
「梨宮さん、フィンレイさんお願いしまーす」
「あ、はーい!」
「………今行きます」
嘘を嘘と明かさないのはエイプリルフールのルール違反。それと同じ。いつもと同じにあぐらをかこうとしても、既に絆のほつれた相手にそれを許してもらえる筈などない。
無理矢理にでも引き止めてそこで詫びの一つも入れていたら良かったのに。
最後に交わした瞳に映っていたのは、翼を傷つけられた心。
2月の末日、その日を境に、私達は一度離れることとなる。
そして、機会を見い出せずに居た私がとうとうやり直しを選んだ3月の23日。
徹夜をしてまだ足りず昼まで潰して書き上げた詩を敷き詰めた紙と彼の好きそうな酒を買って家を出ようとした時、鳴った電話。
そこで私は最愛のパートナー、梨宮愛燈の死を知る。誕生日にして命日。享年20歳。
事務所からの電話が切れた後。彼が好きそうだと選んだ酒の瓶が手から滑り落ちた鞄の中で盛大に割れた音が私の決断の遅さを嘲笑い、その赤が歌詞を敷き詰めた紙を流せもしない血涙の様に塗り潰した時、現実が永遠の別れを胸の奥に突き立てるのを感じて私の意識はブラックアウトした。
――以降私は、長らく歌えぬ日々を過ごし、社長の手により故郷へと背中を押されて今に至る……。
「2人一緒なら、」
この言葉に助けられて生きてきたのは、数えてみればほんの数年。
つい年より日数、日数より時間、時間より分数…切なくなればなるほどより大きな数字を求めた。
ひとえに、続く悲しみが貴方と絆繋ぎ合った日々より短いことを信じたくて。
「此処の音、気に入らないです。こんなに不協和音を使ってきているのにこんな所まで使ったら気持ちよく伸ばせません」
「フィンがライブでミスり易い音だもんなー、ミスったら丁度良くなるかもよ?これ」
「冗談は顔だけになさい、いつ私がミスをしたと言うんです。何より、CDを聴く大衆への意識を捨てる気ですか」
「いいや?そもそも歌い手のお前の意識と聞き手の意識は別もんだろ。前の曲も仮歌の時お前が気に入らないとか言うから編曲任せたら面白くないって●●さんに言われて元に戻したじゃん。何の為に俺ら分担してんの」
気付けば良かった。コーヒーではなくカフェオレだったことに。
気付かなかった、何度も頭を掻く仕草に。
気付いていなかった? ほ ん と う に ?
「…フィン、俺らちょっとヒートアップし過ぎだ。元々リリースのペースも速くなるばかりで俺もお前もファンの皆さえ、…何もかも追いついてねえ」
「…そう、ですね」
その時離れてしまわなかったのは、ただの意地だったことを、今でもはっきり憶えている。
2月の、少し珍しく、べたべたした雪の降った日。そのまま、縫い付けられるのではないかというほどの被害妄想を重たく抱えようとする足を懸命に動かした夜。
ぐちゃぐちゃした白と、すまし顔を取り繕って闊歩する黒とが気持ち悪い。
訳も分からず冷えていったものは、繋ぐ手を無くした手か、歌を取り上げられた唇か、はたまた、寄り添う相手を欠いた心だっただろうか。
私はいつも、――――――。