●財前陣営：財前華蓮の華麗なるカレー屋さん


　ふらふらと特に目的もなく歩いていた七緒 璃音は、エレナのビューティフルショップの真向かい、まるでインドのバザールに迷い込んだかのようなスパイシーな香り漂うお店の前で立ち止まった。見れば、いずれ劣らぬ花のような少女たちが、忙しそうに働いている。
「へー、カレーとか出てるん……だ……ってこの店華蓮の店かよぉ！」
　璃音は思わず目を剥いた。店の大きな看板には、サリーに身を包んだインド女優の如き財前 華蓮の絵が、萌え度２００％で描かれていたからである。しかもその前では、看板の製作者、桃原 空音がビラを配りながら宣伝をしていた。

「いらっしゃい、いらっしゃい！　財前華蓮の華麗なカレー屋さんだよー。ライスかナン、ポークかチキンか、辛さはレベル１～５まで、お好みで選べちゃうんだよっ。お好きなチョイスで楽しんでね！　カレー食べたらラッシーやフローズンヨーグルトで、お口直しもぜひ！」

　この口上と漂ってくる香りから判断するに、なかなか美味しそうだ。
　店頭では桃川 圭花が持ち込んだミキサーで作ったラッシーを販売している。畑中 華菜子は、大量仕入れなら値段を安く出来るのではと考え、ラッシーと材料が似ているフローズンヨーグルトを提供していた。
　店の奥で全体の動きに目を配っているのは、財前陣営の理性、八重崎 五郎八だ。
「接客……は……まあ、華蓮さんや後輩の子が頑張ってるみたいだし、私は裏方に回らせて貰おうかな」
　彼女たち、前日から家庭科室を借りてわいわい下ごしらえをし、今日は温めなおしたり盛り付けをすればいい状態で準備も万端である。華蓮自身も、踊ったり、歌ったり、カレーの匂いを団扇で煽ってお客さんの嗅覚に訴えたり、と地道な努力をしていて、そのおかげもあってか、店は大いに賑わっていた。

　ところで、華蓮には、その名前をもじった『ぜんざいカレー』という不名誉な渾名がある。
「いくら毎日のようにぜんざいカレーぜんざいカレー呼ばれてるからってカレー屋やっちゃうぐらい追い詰められてたなんて……これは……」

　――行 っ て か ら か う し か な い だ ろ――

「という事でおじゃましまーす」
　カレー屋さんに突撃した璃音、早速華蓮を発見し、声を掛ける。
「ぜんざいカレー、ちーっす！」
「誰がぜんざいカレーですのっ！　七緒さん、冷やかしなら帰ってくださいな！」
　お約束の切り返しに璃音はにんまり笑い、今度はおだてる作戦に出る。
「いやいや、そう言わずに。カレー屋とかすげー似合うよ流石華蓮自分の魅力分かってるぅ」
　すると華蓮はすっかり機嫌を直し、くるくると踊り始めた。
「えーと、カレー食べたいんだけど……なんで踊ってるの？」
「ホホホ、うちのコンセプトは『歌って踊れるカレー屋さん』なんですのよ」
「歌って踊れる……？」
　首を傾げる璃音を余所に、華蓮は接客係の華菜子を呼ぶ。
「お客様をお席に案内して頂戴」
「はーいアル！」
　華菜子は弾けるような笑顔で元気に応えが、有難いことに席がいっぱいだ。
「……あいや、すみません、相席になってもいいアルか？」

　ＯＫサインで答えた璃音は、ぶかぶかのニットセーターを着た、長い黒髪の子と相席になった。黒髪の子は注文したラッシーの写真を撮ったのち、俯きがちに物凄い勢いで携帯を弄っている。「ナン、チキンで、あと辛さスパイスレベル1追加で、大盛り」とオーダーしたのち、璃音は何気なく相席の子に声を掛けた。
「ども。もしかしてねこったーで拡散中？」
　黒髪の子は急に声を掛けられ、吃驚したように顔を上げ、それから頷いた。無口な子だ。
「華蓮の知り合い？」
　璃音はまだ気づいていない。この黒髪の子が、かつらで女装した、ネット仲間のエスカルゴ・臼居だということに。無口なのはバレないよう口をつぐんでいるからである。ちなみに何故女装しているのかというと、エスカルゴはひきこもりぎみで、外が怖いからだった。夜の散歩はともかく、お日様の下で今の自分をそのまま見られるのは抵抗がある。
　そんな彼がそこまでして華蓮の店を訪れた理由は……。

「ぶっ！？」
　相席の子が机の上にそっと置いたものを見て、璃音は盛大に噴き出した。
　それが、璃音にも見覚えのある、金色の『財前華蓮ファンクラブ会員証』だったからだ。
「もしかして、ある日いきなり家に届いた？」
　璃音が尋ねると、エスカルゴは頷く。
「もしかして、『財前、恐ろしい子……！』とか思ってる？」
　こくこく頷くエスカルゴ。すると璃音はおどけて言った。
「ずばり、あなたは呪われている！」
　エスカルゴは真顔で頷いた。
（でもさ、会員証を持ってる身としては、女神を応援しなきゃいけないわけで……。彼女、いつも元気いいよな。色々と話していて楽しいし、今回選挙に出るって言うから応援しても良いよなって思ってさ……）
　エスカルゴは、ネット上では華蓮を『女神』と呼んでいる。殻に籠った蝸牛をもお日様の下に連れ出す女神なら、あるいは崇めてもいいのかもしれない。


「お待たせしました」
　圭花が璃音の前にカレーを置いた。
「へーっ、おいしそーじゃん。いただきまーす」
「では、お召し上がりになりながら、華蓮の華麗な歌と踊りをご覧ください」
「へ？」

　華蓮がくるくると奇妙なテンションで回りながら歌い始める。
「ラララ～、財前カレーの美味しい華蓮屋ですわ～♪」
　もうカレーなんだか華蓮なんだかわからない。それに合わせて、華蓮に憧れる華菜子が、自分が如何にこの素敵でカッコイイ先輩のことを思っているかを歌いあげる。
「財前先輩はすごくすごいんですアル～♪」
「そうよ私はすごくすごくすごいカレー♪　ってそれは違いますわ～！　オホホ～♪」
　客席の間を歩き回りながらふたりの調子に合わせていた圭花が、不意に璃音とエスカルゴの席の前に跪づいた。そう、これはオペレッタ。囁くように、独白するように、圭花は語る。

　　♪お客様にだけお教えします
　　　うちのオーナーは　ああ！　なんて人！
　　　女神を自称してはばからず、それに聞いたでしょう？
　　　あのオホホっていう笑い声！
　　　でも、お客様にだけお教えします
　　　この人は一番手の勇気があって
　　　誰よりも親しみやすくて
　　　お客様のこともきっと笑顔に致します
　　　ちょっと変わったとても素敵な人なのです

　圭花は悪戯っぽいウィンクを一つ送って、くるり立ち去る。
　応援することが決まった時、圭花は華蓮にこんなことを言ったのだ。――『どうしてあなたの陣営につくことにしたかって？　それはね、私、逆境のほうが好きだから』……それに会長に立てれば操縦しやすそうだしね、なんて。
（でもね、ほんとは私、結構買ってるの。財前先輩のこと。そもそも私があんなこと言えるのって親しみやすいからだし。そりゃあ、ちょっとヘンな人だけど……どー見たって裏表ないでしょ？　思いっきり目立ちたがりなのだって、正直でいい。……てか、そのあたり私と同じ！　だからさ、ハリウッド俳優みたいにはいかないけど……こんな応援、してもいいかなって）

　圭花と入れ代わりに元気な空音が激しい踊りで、
「ソイヤッソイヤッ！　財前カレーは寝子高一♪」
　と合いの手を入れる。
　最後に華菜子が歌に乗せてこうアピール。
「フローズンヨーグルトは低カロリー！　デザートは別腹、ですよねアル！」

　踊りを見ていた黒兎 都がすごいすごいと拍手して、「同じクラスのよしみで、差し入れ」とここにも焼き饅頭を置いて行った。その後を追うように握 利平が「カレーも３００円か」と肩を落として去ってゆく。留学生のクルジッカ・ヘルマゴルは今の踊りを珍しい日本の文化と勘違いし、これは食べてみなければと早速カレーを注文した。

「いやーすごいわ、変すぎでしょ！」
　璃音はけらけら笑ったのち、カレーを平らげ、写真と一緒にねこったーにこう書きこんだ。

　＜寝子高バザールなう。カレー安いしウマいしで満足だわー。あとへんな踊り見れる＞