●八神陣営：動物執事とメイドの猫喫茶『ｃｈａｔｏｎ』　その３


　歴女な日々野 結衣香は今日の催しに興味津々。自分で校内地図を作り、どこにどんな出し物があるか書き込みながら見て歩くあたりはとてもマメで、いかにも結衣香らしい一面である。一方で即断即決はどちらかというと苦手で、一通りすべてを見て回ってから、どこに行こうかじっくり考えるタイプであった。
「猫喫茶が一番心惹かれましたね。うん、そこにしましょう。足も休めたいですし」
　カフェニャテというのがあって、リクエストに応じてラテアートもしてくれるらしい。いったい何を描いてもらおうかな、と上の空で歩いていたら、お店の前でうっかり人にぶつかってしまった。

「すみません」
「こちらこそぼーっとしてて」
　結衣香より小柄な少年が柔和な笑みを浮かべる。
　お互い猫喫茶でカフェニャテを、と考えていたことがわかると、なんとなく話も弾んでくる。
「いらっしゃいませ」
　執事姿の天之川 麗仁がふたりに訊いた。
「ご一緒ですか？」
　いいえ、と答えかけた結衣香を少年が押しとどめる。
「混んでるみたいだし、一緒でもいいんじゃない？」
　
　彼は千明 優輝と名乗った。修の友人らしかった。
「カフェラテ……じゃなかった、カフェニャテくださーい。ラテアートもお願いできるかな？」
「私もカフェニャテで」
　注文してしばらくすると、修が二人のテーブルにカフェニャテを運んできた。
「どうぞ」
　優輝の方は、可愛らしい猫が描かれていた。猫の絵の注文は多いので、修の腕前もこの短時間のうちに上がった気がする。一方、結衣香のカフェニャテはというと。
「葵の御紋です」
　時代劇好きの結衣香はよく暴れまくってる将軍様のバックに描かれているお馴染みの御紋をリクエストしていた。円のなかにクローバーが三つ内向きに入ったようなシンボルが、泡で描ける程度に簡略化され、褐色のカフェラテの上に白く浮かび上がっている。
「どうぞごゆっくり」
　優輝が修に声を掛ける。
「八神くん、忙しそうだね。選挙頑張って！　応援してるからね～」
「ありがとう」

　ふたりはカフェニャテをいただきながら歓談した。
「なんだか安らぐね」
「はい。あの……失礼なんですけど、少し本を読んでも？」
「うん。いいよ」
　結衣香は一冊の時代小説を開いた。何頁か捲り、好きな箇所に栞を差し込み、もう一度読む。
　優輝もまったり、仔猫を眺めたり本を読む結衣香を見たり。飽きたりなんか全然しない。自然な時間の流れの中に身を任せているのが、だんだん気持ちよくなってくる。
　暫くたって、ふと我に返った結衣香が照れくさそうに言った。
「ゆったりできる場所で好きな本を読めるのってうれしいですねぇ」
　優輝は頷きながら思った。
　一緒にいる人が幸せそうなのは、もっと嬉しいな、と。

◇

　小学生たちが歩いている。曖浜 瑠樹と三夜 雪月、三夜 太陽姉弟だ。
　瑠樹が立ち止まる。
「あ、ここ修お兄さん達のお店なんだ。にゃんこ沢山いて可愛……あれ？」
　目に留まったのは、コルクボードに飾られた、たくさんの布製の手作りくまのぬいぐるみ。ストラップ部分をピンに掛けてずらりと並んだくまさんたちは全長約10cm。無地だったりチェック柄だったり、和柄、ボア生地、ちりめんと様々な色や種類があり、リボンやネクタイ、お花やパソコンなんて小物を持っている子もいる。
「ぬいぐるみだぁ！　可愛いねぇ……10cmテディベアっていうんだー？」
　瑠樹はコルクボードに一緒に留められたＰＯＰを読み上げる。
「いらっしゃいませ」
　制作者でもある遠矢 護が応対に出た。
「手と足が動くんですよ。手触りもお顔もいろいろだから手に取って選んでみてくださいね」
「あーこれかわいい。あっ、こっちも！」
　ようやくこれ、という一つと出逢い、瑠樹はお財布から１００円玉を２枚、護に渡した。

　雪月と手を繋いでいた太陽が、うずうずした表情で姉を見上げた。
「ぼくもこれほしい」
「太陽はテディベアにするんだー？　ふーん、かわいいねぇ……」
　雪月はのんびりと言ったが、次の瞬間、太陽が山ほどテディベアを抱えたのを見てぎょっとした。
「ってみんなの分買うの！？」
「うん」
「お金あるの？」
「お父さんや八雲おじさんからもらったおこづかいあるもん。ほかのを食べるのがまんすればちゃんと買えるよ。大人買いってやつだね！」
「呆れた！」
　三夜家は寝子島きっての大家族。太陽が買ったテディベアは護が用意していた在庫の半分以上である。
「大丈夫？　持てる？　持とうか？」
「だいじょうぶ、ゆづ姉ちゃん！　ぼくも男の子だもん！」
「リュックに全部入らないよ？　いいから持ってあげる」
　雪月が甲斐甲斐しく弟の世話を焼いているとふいに少女の声がした。

「いたのです」
　マリベルに手を繋いでもらっていたゼロがこちらを指差している。マリベルが雪月たちを呼び止めた。
「よかったー。きみたちこの子のお友だち？」
「あれ、ゼロちゃん？」
「はいなのです。ゼロなのです。みなさんと再び巡り会えましてよかったのです。お姉さんお世話になりましたなのです」
　ゼロはマリベルにぺこりと頭を下げ、足取りも軽く雪月たちと合流した。マリベルは彼らにパンフレットの地図を見せると、今度は集合場所を決めておくとええでー、とアドバイスし、手を振って仕事に戻って行く。
　ゼロの瞳にくまさんが沢山ぶら下がったコルクボードが映った。自分とよく似た真っ白のテディベアが、真っ黒な瞳でこちらを見ている。あなたと出逢うためにここに居たのよ、と言いたげに。ゼロは躊躇わなかった。
「可愛いベアさんなのです。これください、なのです」

　そのときだ。
「ファーッハッハッハ！」
　背後から、高飛車な男の高笑いが飛んで来た。
「さぁこの私の来店である！」
　振り返ればそこには、コアラのつけ耳が妙に可愛いオールバックで目つきの鋭いイケメンが、熊のぬいぐるみを抱いて仁王立ちしているという謎の光景があった。
　小学生たちは一気に固まる。雪月がみんなを守るように立ちはだかり誰何する。
「だ、誰！？」
「フハハハハハ。我が名は鈴木 修一郎！　我がクラスメイト、八神が副会長に立候補したそうだな……ククク、どんな店かはだいたい聞いていた。ゆえに私もノリノリでコアラのつけ耳をして来たぞ！　無論、寮を出る時からだ！」
　ちなみに修一郎は桜花寮在住である。街の人の「アラあの人何かしら」な視線も、このコアラ耳の可愛らしさゆえに致し方ないことだ、と考えるのが修一郎という男である。
「激励の品を持ってきた。八神のとこはねこさんが多いと聞いたゆえ、首に巻いたりできるリボンである！　さぁ、ねこさんの名前を教えるがいい！　この場で名前を入れて送りつけてくれようぞ！　フハハハハ！」
　リボンは修一郎のお手製。修一郎は態度こそ妙に偉そうだが、縫いぐるみ作りが趣味な手芸男子である。
　つまり、わりと護と趣味が合うのだ。
「しかし、何という可愛いもの揃いの店であるか」
　修一郎は護の飾りつけを見てひどくご満悦な様子だった。
「この私も思わず滾ってしまうというもの……クク、フフフ……！　中でもこの小さいくまさんのぬいぐるみがいたく気に入った。一つ貰おう！」
　10cmテディベアをお求めになられた修一郎はさらに機嫌が良くなられてこんなことを言いだした。

「よかろう！　ねこさんだけなどという無粋は言うまい！　今からこのリボンに八神の店の者たちの名前も刺繍し、この私自らが貴様らにつけてくれよう！」
　えっ、と八神陣営のメンバーたちが驚いて修一郎を見る。修も、護も、麗仁も、夏朝も、赫乃も、歌のおねえさんな夢宮 瑠奈も、手伝おうとやってきた鈴野 加代も。小学生たちもあっけにとられて口が開いたままだ。

「なに、遠慮はいらぬぞ！　ハーッハッハッハ！」

　……ご迷惑でなかったら、ぜひ受け取っていただきたい。名前の刺繍入りである。