夢の晩餐｜リアクション

夢の晩餐

　蓋も取らずに、仏頂面をしているのは逆巻天野。
　天邪鬼な彼、容易に晩餐の客人となろうとはしない。　
「ここは、本当に夢だろうか？」シリアスな顔で呟く。「神魂の影響で異世界である可能性……」とめどなく独白が続く。
「猫が、世界を切り離したとすれば説明が……」

　今年になってから、頻発する怪奇現象。
　彼も多くの奇妙な現象に出会ってきた。
　彼なりの考察があり、彼なりの理論がある。

　見たくもないキライなものを見えるのを、引き伸ばしているだけかもしれない。

「出されたものを、すべて食べるがよい……」
「食うもんすべて食え、か」
「出されたものを、すべて食べるがよい……」
「しかも参加者の、不得意とする……」
「早く食べるがよい」
　弁天の声に彼は盛大な舌打ちで返事をした。

　逆巻の苛立ちは、あの弁天にも由来する。
　厚化粧した弁天。
（どう見ても、人生踏み外した感の拭えない、津止先生……）

「さっさと食べるがよい」
「ホント食いたくない」
　天野は目の前の料理を見る。
　蓋を取らなくても、大凡想像はつく。
　彼の嫌いなもののひとつ―ー肉料理。
　
　蓋の奥から響く、油の爆ぜる音。
「ステーキ……シャリアピンステーキ」
「肉が嫌いなのか？」刀の質問に頷く天野。

　彼が肉を嫌うのには、それなりの背景があったのだ。
　寺に育った彼、肉食の習慣はない。
　穢れという意識が、どうしても抜けきらない。
　それに加え、幼いころに読んだ本のエピソードが、彼の心に傷を作っていた。

　屠殺場。
　人間の身勝手な都合で、動物が殺されていく。
「動物愛護うんぬん、とは言わないが、命の重さ、尊さ……衝撃は受けたな」
　ふっと昏いまなざしをあげる天野。

　屠殺場のエピソードを聞いた男の子が、肉を生涯口にしないと決めるのはよくある話である。
　そして数週間後、後ろめたさを感じながら肉料理を食べる自分を発見するのも、これもありふれた話だ。
　青臭い決意を現実に叩き潰され、少年は大人になる。
　それでもかたくなに肉を口にしない天野は、頑固であり、子供じみて、誇り高かった。

「……天野」刀は神妙に声をかける。真摯な天野は、切れるほど怖い。
「……ああ」天野はうなずく。そうした感傷は、差し迫った状況では人を救う力にはなれない。
　無意味な殺戮を厭う反面、死の宿命を受け入れることも必要だ。
「亡くした命を、粗末にはできない……」天野は蓋に手をかける。
「よく考えれば、夢の中なら、味や香りはわからない。それにステーキなら、元の形はわからないはず」
「……」天野の決意を受け取り、無言になる円。

　プライドを持つのも、プライドを捨てるのも大事。

　天野が視線を上げれば、そこにはおびえる海美。
　皿の上にあるのはレバ刺し。
　死ぬほど怖がっている。それほど肉がいやなのか。
　ここで自分が肉を食いちぎり、彼女を鼓舞するのも一興だろう。
　安くないプライドだが、彼女の笑顔で贖うのなら、そう悪くない取引のように思えた。
「その屍を、越えてやらねば……」
　ぐびりと喉がなり、ゆっくり料理の蓋が開けられる。

　盛大に鳴り響く、油の爆ぜる音。

　ーーそして、次の瞬間。
　大音響を立てて、蓋が机をバウンドした。