貴方の声が聞けるなら｜リアクション

貴方の声が聞けるなら

　　【貴方に未来を促す声】

　兎が例の言葉を発する数分前。

　きょとんと小首を傾げる兎を前に、高城律は濃霧の中で至近距離でいるその物体に、思い切り驚きを隠せずにいた。
　「ウサギがｼｬｧﾍﾞｯﾀｧｧｧｧｧｧｧ！」
　その驚愕たるや。
　体で現すならば、かなり昔に一世を風靡した「シェー！」のポーズ。
　立ちながら片足を持ち上げ４の字に、片手は折り曲げつつも高らかに掲げ、もう片方は腕を肘部分で折り曲げる、非常にバランス感覚を要求されるポーズである。
　兎が興味本位でそのポーズを真似しようとして小さく転んだ。
　「うん、にんじんが汚れてないからいいや」
　「どーいう事だ、俺はついにこんなメルヘンな夢を見るくらいに現実に疲れてしまったのか……！」
　肩を小刻みに震わせる律に、兎は再度声を掛けた。
　「聞かないの？　大好きな人の声だよ？」
　律はその言葉に鼻で嘲った。
　「……大好きな人、な。
　ウサ公にそんな芸当ができるなんて思えないんだけど……できるんならなやってみろよ」
　小馬鹿よりも、完全に馬鹿にした様子で悪態をつく律。

　そして、兎はあの言葉を口にした。

　『それでは、お代に貴方の声を頂きます』

　「(ちょっ、声なんて聞いてな……っ！)」
　律は聞いていなかった。
　余りにも一方通行の契約に、反論の声を上げようとしたが、既に言葉が出ない。
　律が兎を締め上げようとしたその時、声は響いた。
　「りっちゃん」
　「(……あ？)」

　「りっちゃん、お願いがあるの」
　それは、能天気で、それでも穏やかな優しさ溢れる親友の声。
　そんな声を聞いた。
　声が出ないどころではない。
　呼吸そのものを濃霧を集めて喉に詰めたかのように、息が詰まりそうになる。
　
　「絵、また描いて欲しいな。
　私のことは忘れていいから」

　律は、声の主を捕まえようと、その方向に手を伸ばす。
　しかし、数メートルの距離の先は何も見えず、足を踏み出し伸ばした手には何も掴めない。
　これは本当に自分の親友の声なのだろうか？
　芸大にいた頃に、自分が描いた絵が原因で死んだ親友の姿が重なる。
　それとも……自分が勝手に生み出した親友なのか？

　「(違う！)」
　喉の奥から搾り出すような声すらも形にならない。
　今更こんなものを見せ付けられたとしても、自分は親友を再び絵を描く免罪符にしたい訳じゃない。　

　「ばいばい、りっちゃん。きっと私たち、良い友達だったよ」
　「(──────！)」
　さよならを告げる親友の声に、全く出もしない声で何かを叫んで目が覚めた。
　　
　現実に立ち返った律は、濡れに濡れた目元を拭って、それでも足りずに嗚咽を繰り返す。
　「あー……」
　落ち着いてなどいない。落ち着いてなどいないけれども。
　馬鹿馬鹿しい夢だ。
　「……。『お前の』せいだよ」
　夢から醒め、自然出るようになった声で、言い聞かせるように呟いた。

　誰が何と、どう言おうとも。
　あいつが死んだのはお前のせいだよ、高城　律。

　「絵なんかもう描かねぇよ、馬鹿」
　冷静になって考える。
　なんだかとても、不快な夢を見た。

　濃霧から消えた律の姿を後目に、一羽で立ち尽くす兎はにんじんを一齧りして、こくんと一口飲み込んだ。
　「うん、これは美味しい」

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