雨よ、どうか｜リアクション

雨よ、どうか

　理由を添えずただ会いに行く。たったそれだけのことが、片想いを胸に抱く乙女には何よりも難しい。理由の無さを知られることは、秘めた心を知られるのと同じことだから。紅林柳霞がシーサイドタウン駅を出て、少し。突然やって来て口実を投げてよこした雨雲は、傘を持っていなかった柳霞にとって少しばかりのフライング。

「うわぁ、結構濡れちゃったな。まだ結構あるのに……」

　柳霞が目指している洋菓子店『Raton』まで、このまま走って行けるとは到底思えないほどの強い雨。駅からそこまで離れているわけでもないし、ちょっとダッシュすればまぁいいかなくらいに思っていたはずが、みるみる強まる雨足に心よりも足元がくじけてしまった。張り出したオーニングの下に入ってみれば、どこで水たまりを踏んだのか靴下も足首までじっとりと色が変わっている。濡れそぼったポニーテールの先からうなじに落ちる雨のひとしずくに、思わず柳霞の背筋がぴっと伸びる。

「雨、かぁ……」

　思いがけず出来たのは、立ち止まる時間。柳霞が見上げた、重く分厚い雲。空と大地を隔てるそれはまるで、彼と自分の間にある見えない壁のようだと柳霞はぼんやり思う。

「（いつになったら、お客さんじゃなくなるかなぁ）」

　店主と客のあいだには見えない壁があり、それは柳霞と想い人の間にももれなく存在していたが、お客……柳霞の秘めた想いをそっと隠してくれるやわらかい盾でもあった。お客としてあの店に行くのなら、少しは堂々と出来る。とはいえ、暇を見つけてはつい寄ってしまう頻度を考えると迷惑ではなかろうかと考えこんでしまうのもまた片想いの常。恋する乙女はいつだって心配性なのだ。

＿＿お客さんとして行ってるから、いつまでもお客さんのままなのかなぁ？

　会いたいという願いを叶えるために、お客という口実はうってつけ。だけど、そこから先に進むためには店主とお客の見えない壁を取り払わなければならなくて。柳霞がお客として店に訪れるぶんだけ、彼からの壁も少しずつ厚くなっていく。

「（……好き、なんだよ）」

　どこが好きなのかと問われたら、両の手指では足りないくらいすぐに挙げられるし、それらがすっかりなくなってしまってもきっとこの想いは消えないという自信がある。それくらい、好き。ずっと一緒にいられたらいいなと思わない日はない。

　それはまだ、一方通行。どう思われてるのかな、迷惑じゃないかな、お客さんだから笑ってくれるだけかもしれない。そんな不安材料を挙げるのだって、あっという間だけど。
　柳霞の左腕で、ローズクオーツとセレナイトが優しく光る。

「（自分に嘘はつかないって決めたんだ）」

　迷惑だから、嫌われたくないから、そんな弱気な理由で諦めない。
　この想いを大切にして、少しずつでも自分を磨いて前に進んでいく。
　強くたおやかな決意を後押ししてくれる天然石のブレスレットに、柳霞はそっと手を添えた。

「…………すき」

　雨音に掻き消えるかと思ったちいさなちいさな呟きが、柳霞の頬をみるみる染めてゆく。ひととき隠れやわらいだ真夏の日差しが、柳霞の頬だけを照らしているようだ。

　言葉にすれば、会いたくなる。
　いつでも会いに行けるのに、今。今がいい。
　だが雨はまだ、柳霞をそこに押し留める。

「（ブラウスが透けるくらい濡れたままじゃ、心配かけちゃうかな）」

　会えるのなら、濡れ鼠のちょっぴり情けない姿より……とっておきの笑顔をその瞳に焼き付けてほしい。
　雨が上がったら、髪を乾かして、服も着替えて、それから会いに行こう。

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