●９年目

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２月
【展覧会】
　とある――といっても世界規模のかなり大きなコンクールだ――で入賞した作品の展覧会がパリで開かれていた。
　そこに審査員特別賞として不思議な作品が飾られていた。

　まず何よりも人の目を引く真っ白な肌。
　真珠のように滑らかで、絹のようにシミひとつなく、けれど温かみや柔らかみといった感触の見える絶妙な色使い。
　その肌が――頬、首、鎖骨、肩、腰、脚と美しくなだらかな曲線を描いている。
　しかしけっしてすべての肌をさらけ出しているわけではない。
　その被写体は肌と見紛うように白い『WAHUKU』を着ていた。
　カンパス全体が驚くほど白い。けれどその白さが部位によってまったく違う。
　そして唯一色が違うのが瞳。正確に言えば髪の色も純白とは違ったのだが、ほとんど白に近い色合いだ。
　けれど瞳だけはまったくもって違う。
　赤だった。
　ある人はその赤を炎と言った。ある人はその赤を血肉だと言った。――ある人はその赤を愛だと言った。


　見ているだけで不思議な気分になる絵だった。
　そもそも被写体が男なのか女なのかもわからない。
　被写体の魅力と描き手の魅力が一身に詰まったその絵画は、多くの目を釘付けにしたのだった。

３月
【サークル活動】
『名ばかりの』
　鳳翔 皐月が所属している映画サークルは、名ばかりのサークルだった。
　気が向けば確かに映画を見るが、基本的には内部進学を果たしたお金持ちたちがのんびりとおしゃべりに興じる場だった。
　けれどここを抜ければやることもない皐月は、退屈な話にくわわり、退屈な話題を楽しんでいるふりをした。

　そこで皐月はさる先輩に告白される。
　頭もよく、生まれもいい彼からの誘いを断る理由はなかった。
　皐月は「不束者ですが、何卒よろしくお願いいたします」と頭を下げ、初めての恋人を作ったのである。

４月
【春】
『噂の結末』
「そのなんて言えばいいんだろうな……どうしても心に引っ掛かるんだ」
　大学を卒業してからも、邪衣 士と桃原 空音の腐れ縁は続いていた。
　その結果、士の脳裏には空音の存在がこびりついてしまったのだ。
「ただの心配性なだけだったらよかったんだがそうじゃないみたいでさ……夢にまで出て来て一緒にいたってことはつまりさ……どうしようもないぐらい好きだってことだよ、君の事が」
　熱烈な愛の告白を受ける空音は、とても苦しそうに眉根を寄せた。
「……む、無理ッ！　ギブ、ギブ！」
　それもそのはず。
　熱烈な愛の告白は、熱烈なベアハッグをされながらのことだったから。
　空音は小さな身体を精一杯ひねって、動かして士の拘束から逃れようとする。
「ってこら待て逃げるな！　離せ？　離さない、もう少しこのままでいさせてくれ……」
「い、嫌だ……このままじゃ、し、しにぅ……」
　・
　・
　・
「ハッ！」
　空音は目を覚まし、安堵した。
「なんだ、夢だった――ってええ！？」



　夢だったどころか、今正に結婚式の真っ最中。
「なにこれ、え、ええ！？」
「何って……俺達の結婚式だろう？」
「なんで？　なんで士くんと私がけ、けけ、け」
「結婚だな」
「嘘！　絶対嘘だ！」
　花嫁の悲鳴も余興の1つとして、参列者に大受けした。

「ぜえったい、うそだあああああああ！」

５月
【GW】
『帰郷』
　鬼崎 のばらは添木工業の店長見習いとして、総会に出席することとなった。
　久々の帰郷、姉との再会は喜ばしいものの、せっかくのGWに恋人と過ごせないことを寂しく思う一面もあった。
　けれど姉を支えると決めたのも、のばら自身。
　のばらは強面の店員が運転手を務める黒塗りの高級車に乗って、寝子島を発つ。
　×　×　×
「……のばら先輩？」
　いつになく大人っぽい格好をした先輩が、怪しげな車に乗っているのを目にした戌井 創は心臓を鷲掴みにされた気分だった。
　もしかして、誘拐？　売られて、ひどい目に合うんじゃ……。
　創は慌てて車を追いかける。
　そのうちバックミラー越しに創の存在に気が付いた強面店員が車を停める。
「なんじゃ、餓鬼……」
「創くん！」
　曰く心配したのばら先輩のお父さんが、大仰な迎えを寄越したのこと。
　……のばら先輩ってもしかして、すんごくお嬢様なのかな？
　別の意味でドキドキする創だった。

『聖母マリアの教会』
　GWのある日。月居 歩は芽森 菜々緒と共に小さな教会へ訪れた。
　日曜日のミサに参加させてもらって、庭を見て、建物を見て、絵を描き――穏やかな時間を過ごすうちに、あっという間に日は暮れていく。
　ステンドグラスに差し込む夕日に照らされた彼女の横顔は、それこそ聖書に出てくる聖母マリアのように敬虔で美しい。
　彼女には決して消えることのない苦しい過去があった。彼女は笑顔を浮かべながらも、その過去から解放されてはいない。
　長く共に歩んできたけれど、その事実は痛いほど歩に伝わってきた。
　いつ、彼女は本当の意味で笑顔を取り戻すのだろうか。
　これからもずっとそばにいて――その笑顔を見たい。できることなら守りたい。
　ふとそんな思い歩の脳裏をよぎった。
　衝動的な感情だった。
　いつも冷静を心がける、人と距離をおいてきた歩にとって、こんな衝動は久しく覚えていない。
「菜々緒……」
　戸惑いながら名を呼ぶと、夕日の光を蓄えた白亜の睫毛が持ち上がり、紫艶の瞳が浮かび上がる。
　その瞳にははっきりと歩の顔が映し出されていて、歩は菜々緒ごしに自分をしっかりと見据えることとなった。
　……瞳の中の歩は、まるで別人のように何を考えているのかわからない。
　不安も見えない。迷いも見えない。ただ菜々緒に捕らわれた1人の男だった。
　覚悟が、決まった。
「菜々緒……俺と、ずっと一緒にいて欲しい」
　取り繕う言葉はすべて排除した。飾りも技巧も工夫も何もいらない。
「……ずっと？」
「そうだ。だから……、結婚してくれ」
「……突然ね」
　菜々緒がうっすらと微笑むと、瞳の中の俺も歪み、笑っているように見えた。
「そんなに、綺麗に見えた？」
「……ああ、花嫁みたいだ」
「……きっと、歩くんの側にいるからね」
　菜々緒の物言いにトクンと胸が高鳴る。
「それは……つまり」
「もちろん、歩くんが花婿ね」
　鈴が転がるような声で笑う菜々緒を見て、ますます衝動は強くなっていった。
「なら――今すぐ誓いを立ててもいいか？」
「今すぐ？」
「そう。神父もいない、立会人もいない、それでも今ここで、この綺麗な場所で……」
「私に、誓ってくれるのね」
　菜々緒以外に誓う人などいるはずもない。
「私、月居 歩は病める時も健やかなる時も、喜びの時も悲しみの時も、貴方を愛し続け、守り抜く事を誓います」
「私、芽森 菜々緒も病める時も健やかなる時も、喜びの時も悲しみの時も、貴方を愛し続け、守り抜く事を誓います」
　菜々緒の言葉を聞いて、歩は思わず彼女を抱きしめる。
　胸に広がる熱い感情に戸惑う歩の背中に、菜々緒もそっと手を回した。

　口付けも交わさない。熱い抱擁の影が、小さな教会に伸びていた――

８月
【誕生】
『双子ちゃん』
　篠崎 響也、るるか夫妻の間に双子の男の子が誕生した。
　髪の色はるるかと響也と同じく赤毛。だが凛々しい顔立ちは響也に似ているように思われる。
　おすまし顔の長男は奏也（そうや）、甘えん坊の次男は律歌（りつか）と名付けられた。

　しばらくのあいだ、るるかは育児休暇を取り、出演はCMのみとなった。

１２月
【クリスマス】
『初』
　御巫 時子と五十嵐 尚輝が一緒にクリスマスを過ごすのは今年が初めてだった。
　いつも忙しく、2人ともクリスマスどころではなかったから――。
　けれど今日は目一杯おしゃれに着飾って、時子は尚輝とディナーだ。
「……時子さん、お待たせしました」
　やや遅れて現れた尚輝はいつものぼさぼさヘアをいくらか整え、あまり見かけることのないスーツ姿で現れた。
「尚輝さん、その格好……」
「今日くらいはキッチリしなさいと理事長に叱られまして……」
　あの理事長ならば、本当にそんなことを言いそうだ。時子はくすりと笑って、そっと尚輝の腕を取る。
「……時子さん」
「はい」
「今日はよろしくお願いします」
「はい、私こそ、よろしくお願いいたします」

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