ドアの隙間から教室の様子をうかがいながら、七音 侑は独り、廊下に取り残されていた。むっすぅ、とそのほっぺたを、仔リスのように膨らませて。
（それにしても志波君てば途中で寝るなんてひどいー）
　どうやら彼女、隣りのクラスで話し込んでいるうちにチャイムが鳴ってしまい、１０組の教室に戻りそびれてしまったらしい……。
　ドアを開ければ、教室中の注目を集めてしまう。でも下の小さい窓から入れば気付かれないかな……、むー。どうしよう。
　そんなふうにぐずぐず迷っているうちに、なんだか猛烈な睡魔が押し寄せてきた。
（………あふ、志波君の癖が伝染っちゃったかなー）
　彼女自身、どこでも寝れるクチだったが、とりあえずあの友人の顔をぽわわん、とフキダシの中に思い浮かべて、彼のせいにしておく。
（ふあああ、こんな所で寝たらダメなのにー……でも今日良い天気だしお腹いっぱいだし………）
　すると、突然もしもしと、その肩をたたく者があった。
「あや？　うにっ、にー」
　仰天して跳び上がりかける彼女の口を、見知らぬその生徒があわてて塞ぐ。
「わわ、し〜〜っ。教室のみんなに気付かれちゃうよ〜」
　眠たげな目をしたその少年は、猫島 寝太郎と名乗った。１年４組の生徒なのだそうだ。そして、寝ぐせのひどい灰色のボサ髪に、なぜか木の小枝や葉っぱやらが絡まっている。
「ああ、これ？　降りられなくて鳴いてた仔猫がいたからさ、木から下ろしてたんだよねぇ。それで学校にも遅刻しちゃって……」
　あははは〜、と屈託なく笑う猫島。そのとろんとした瞳に、なんとなく親近感を覚える七音。こういう眠たげな目をした人物に、１人心当たりがあるからかも。
　聞けば、彼はこれから、この１０組から４組の教室まで、廊下を忍んで行くのだそうだ。
「普通に歩いてくと、廊下側の窓から丸見えで、遅刻したのがばればれで恥ずかしい。
　これは、困難なミッションになりそうだなぁ〜」
　じゃあ自分は行くねぇ、と短い出会いに手を振り、姿勢を低くして廊下を進み始める猫島。
「あやっ、待って待って猫島君、えっと……」
　同じ遅刻仲間に、七音も意気感じるところがあったのだろう。彼のこれからのはるかなる旅路を思い、あわててポケットを探る。
「アメちゃんあげるから、コレ良かったら食べてにー」
　と、向こうに行きかけた猫島の肩を叩くと、
　ばさり。七音の足許に布団が落ちた。
「あ、りゃ……？　猫島君……は？」
　こちらを振り向いたはずの猫島が、どこにもいない。消えてしまった。
「うおおお、遅刻だ遅刻だあ！　くっそぉバアちゃんめぇ、こんな時に……」
　そこにドレッドヘアを振り乱して、ドタバタと八重垣 カナエが走り込んできた。
　ずべっ。布団を踏んで盛大にすっ転び、どんがらがっしゃーーーん。壁に激突してクラッシュする。
「なんだ、何だ？」
　ホームルーム中の浅井 幸太先生とクラスメイトたちが、わらわらと教室から顔を出した。
「イテテ、なんでこんな所に布団が……」
「八重垣……う〜〜ん。そこまではちょっと、どうだろう」
　目を回している八重垣カナエと、散乱している布団を見比べ、浅井先生がポンとその肩に手を置く。
「クラス専用炊飯器までは許可したが、さすがのこの俺も、クラス専用布団までは……」
「ちげーよ！　私んじゃねーし！」
「センセー、体育科は寝ルのも仕事のウチだヨー」
　汐崎 キミが、サッカーボールを枕代わりに、すやすやとおねむな仕草をしてみせる。
「うん今汐崎がいいことを言ったな。よく食べよく眠る。そう、体育科は寝るのも仕事……」
「浅井先生、しっかり！　だまされちゃダメっ。気を確かに持って！」
　緑野 毬藻仔があわてて先生をゆさぶり、汐崎に目でメッてする。てへぺろのフィンランド留学生。
　とりあえず、この問題の布団セットには、だれも持ち主がいないことが分かり、紛失者が名乗り出るまでは、１０組の窓に干されることになった。
「この布団からは、何だかオイラの好きな匂いがしますよぅ」
　それを手伝いながら、森野 熊吾郎が布団に鼻をくっつけ、くんかくんかする。何だろう、ほんのり、猫の匂いがするような……？
（わっわっ！　ソレくすぐったいから、やめてやめてー！）
　もちろん、いまさら言うまでもないが、この布団は、猫島 寝太郎の変身形態である。
　彼のろっこん『憧れの超高級羽毛布団』は、寝不足の人物に肩を２度叩かれると、否応なく発動してしまうのだ。うん、彼の意志にかかわらず。
　４組まで行くというインポッシブルなミッションの途中、いきなりスタート地点の１０組で窓に干されてしまった猫島寝太郎。
　彼の流転の運命や如何に……！


　さて一方こちらは浅井先生に連れられ、教室に入ってきた七音侑と八重垣カナエの２人。
「あ、あれー？　うちも推薦されちゃってたの！？」
　黒板に書き出された名前を見て、七音がすっとんきょうな声を上げる。

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　・七音 侑
　・八重垣 カナエ
　・汐崎 キミ
　・新井 米太郎
　・御手洗 孝太郎
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　ちょうど学級委員の、残り２枠をめぐっての推薦候補が出揃い、それぞれの自己紹介もひと通り終わったところだったのだ。
　遅刻してきた八重垣と七音も、推薦候補の１人であることが告げられ、
「うちは部活あるし」
　とあうあう推薦を辞退しようとする七音侑だったが、やんわり浅井先生に諭された。
「うん、でもな七音。部活でいそがしいのは、他のクラスの皆もいっしょだ。
　それに辞退するのはカンタンだが、七音を推薦してくれた人に失礼だとも、先生思うぞ」
「うぅ……」
　一方、八重垣カナエの方は、
「学級委員に推薦してくれるたぁ、ありがたいねぇ！
　推してくれるなら！　応えさせてもらうぜ！！」
　とドンとガタイのいい胸を叩く。ニッと笑って、じつに頼もしい。
（おぉ〜。うちよりずっと、やる気がありそう……）
　間近でずっとその様子を眺めながら、ウンとひそかにうなずく七音なのだった。
「さて遅刻もいたが、これで推薦候補が全員出揃ったな。
　では投票に移るが……、ん？　どうした、神出鬼？」
　いつのまに現れたのか、神出鬼 没が足許で、浅井先生のジャージをくいくい引っ張っている。その小さな頭に何やらえっちらと、重たげな物を載せて。
「それは……俺のデスクに置くことにした炊飯器だな？　体育教師控え室から、わざわざ持ってきたのか？」
　こくこくとうなずく神出鬼。
「なに？　それを投票箱代わりに使え……だって？」
　こくこくとうなずく神出鬼。
「なるほど……ちょっとばっちい気もするが、後で洗って使えば大丈夫だろう。よし、わかった」
「♪♪♪」
　跳び上がって神出鬼はよろこび、そのまま炊飯器を担いで、教室の中を回り出す。
（か、可愛い……！）
　ちょこまかと机の間を近付いてきた炊飯器の中に、にっこり微笑んで用紙を投じる緑野 毬藻仔。
　仁木 猪子も投票用紙の真ん中にていねいに名前を書き、回ってきたお釜の中に入れた。
　とりあえず、この人かなぁ……としばらく迷いながら、森野 熊吾郎も投票完了。
　早々に投票を済ませた汐崎 キミは、落ち着きなくサッカーボールで遊び始めて、浅井先生に怒られている。
　その近くでは我関せずと御手洗 孝太郎が、今日のご飯のことを考えてぼんやりしていたり。


　さて、いよいよ開票だ。
　浅井先生が投票用紙の名前を読み上げ、神出鬼 没がそのまま板書をお手伝いする。
「八重垣カナエ」
　椅子を踏み台にせいいっぱいの背を伸ばし、神出鬼が名前の下に、正の字を書いていく。
「御手洗孝太郎」
　その名前が出ると、にんまぁって顔をほころばせて、教室の御手洗にウインクしたり。
「不潔屋ー！　いれといたのさー！」

　さあ１年１０組、残る２人の学級委員の投票結果は……