●泡沫プリンセス●


【寝子ヶ浜海岸・特設ステージ】

「みなさーん、こーんにちはー！　アキバの兎姫こと因幡眠兎でっす！」

　そうして海の真ん中に、大きな日が落ち始めた頃。
　本日海開きのフィナーレ、因幡 眠兎のミニライブが始まったのだった。ちょっと和風なステージの真ん中で、集まってくれた観客に元気よく手を振って、
「初めての方もそうでない方も、今日は眠兎の歌を楽しんでいって下さいね♪
　ではでは、今月発売の新曲からいっきまーす！」







　１曲目は「泡沫プリンセス（キンギョヒメ）」。
　テクノポップだけど幻想的な曲調に、片想いの女の子の心情を綴った歌詞を乗せて。
　ひらひらのライブ衣装で踊り出す眠兎に、たちまち観客たちが魅了される。
「やあ、これはええですな。可愛らしいアイドルさんですー」
　今日できた友達といっしょにライブを観ていた、薄野 五月も思わず感嘆の声を上げて。
「金魚さんみたいな衣装が、夕日に映えて綺麗ですー」
　今日の眠兎のステージ衣装は、水着仕様の改造着物。彼女が軽快なステップを踏むたびに、振り袖やスカート風パレオの裾が舞い、まるで揺れる乙女心を表現しているよう。
（──今恋してる人もそうでない人も、
　胸が高鳴るような歌を、皆さんに！）
　そんな心を込めて歌う歌姫の姿に、恋する乙女・宮祀 智瑜もまた、ちょっぴり勇気付けられて。
「あれ？　美和ちゃん先生、観ないんですか？　素敵な曲ですよ」
「うぅ、片想い……もう片想いなんてえええぇ」
　その２人の後ろで、ぱくぱくとやけ食いをしている久保田 美和先生に、五月と智瑜が顔を見合わせる。新しい恋に再出発した美和ちゃん先生、例のイケメンメイドの神野 マキナが女性だったことを知り、本日２度目の失恋をしたようだ。
「大丈夫ですよ、美和ちゃん先生は大人なんですから、
　きっとすぐ、次の出会いがありますよ」
　と智瑜が悪気なく、それを慰めるのだが。
「それに先生のナンパの武勇伝も聞きたいです！
　ナンパってされたことないですけど興味はあるんです」
「うぅ、武勇伝なんてないよー。連戦連敗中だよー（しくしく）」
　ちなみに智瑜の場合は、ナンパされてても、本人が気付いてないだけだったりするのだが。先生の失恋話を、根気強く聞いてあげる２人だ。


　その担任の先生のやけ食いに付き合ってバーベキュー……ううん、お肉自体の魅力を楽しんでいるのは、恵御納 夏朝。砂遊びで一緒だった、野々 ののこや夢宮 瑠奈と同じ鉄板を囲みながら、
「も……もう、いいかな？（ごく……）」
「うん、焼けてるよ！　きっともう焼けてるよ！」
「だめ、夏朝ちゃんにののちゃん、もうちょっと我慢だよ」
　焼っけてるよ〜ソングをお行儀悪く唄うののこを、「ライブ中だよ」って瑠奈がちいさく叱りながら、
（でもこうやって、海で食事をしながら聴く音楽っていうのも、ゆるくていいなあ……）
　ステージ前の最前列で応援している熱心なファンもいれば、楽しげな雰囲気に足を止めた家族連れが、立ったままゆらゆらと身体を揺らして、聴き入っていたりもする。年齢も性別もバラバラなお客さんがそれぞれ、思い思いにこの日の締め括りを、楽しんでいる様子だ。
「さっ、焼けたっすよ。どうぞどうぞっす」
　バーベキューの火の調整をしていた本田 誠也がそう言うなり、我先に割り箸を伸ばし、
「あつ、あつ……はふ……うん、おいしい」
「おいしーねー！」
　夏朝とののこがふーふーしながら熱々のお肉を頬張り、にまーと笑い合う。


「あれっ、本田？　何やってるんだ。バイトはもう終わったのに」
　そこに通り掛かって、いぶかしげに訊ねる橘 勇に、
「バーベキューの火起こしや始末は、女の子がやると肌焼けるっすよ。
　自分、もうメイドじゃないっすけど、男っすから」
「そうか……ならば俺も付き合おう」
　もう仕事中じゃないので、遠慮なくバーベキューも食べられる。ののこから「これも美味しいよ食べて食べて♪」と肉や野菜を分けてもらって、今日の仕事の空腹を満たす２人だ。
「あの、橘さん。かき氷機を壊した件は、
　すんません……自分、不器用で……」
「なに、気にしちゃいないさ」
「そうだ、かき氷……！」
　そのやり取りに、ぴょこんと夏朝が反応する。
「僕、デザートにレモン味のかき氷、頼みたかったんだ……。
　でも、もうだめだよね。海の家、閉まっちゃったし（しょぼん）」
「ほら、ここにあるぞ」
　そこで魔法のように、小さめのかき氷を取り出す橘に、夏朝が驚き目を見張る。
「うわあ……！　どうしたの、これ……！」
「さっさと帰るのも勿体無かったんでな。
　オーナーの許可を貰って、賄い用に作らせてもらった。よかったら」
「ありがとう、橘君……！」
「本田もどうだ？　みんなの分も、あるぞ」
「うれしいっす、遠慮なくいただくっす！」


「ののちゃん、ほら、ほっぺたにシロップくっついてる」
「ええー、どこー？」
「取ってあげるから、じっとしてて……ほら、よそ見しないの」
　落ち着きのないののこの口許をハンカチで拭ってやりながら、夢宮 瑠奈の胸にもふと、じわんとしたものが溢れる。
（こんな他愛のない会話ができるこの瞬間が、あたしはとっても楽しくって）
　ボール遊びに砂遊び、スイカ割り大会を応援した後は、皆でいっしょにスイカを食べて、釣りをして。ビーチバレーで遊んだ後は、海の家でかき氷を奢ってもらって、こうしてライブを観ながらバーベキュー。
（こんなフツウのことでいっぱいのこのセカイが、あたしはとっても愛おしくって）
　いっぱい遊んで、今日は１日、楽しい日だったってことを、目一杯心に刻んで。
（あたしはこれからもそんな、ののちゃんのフツウの友だちでいたいんだ）
　通りすがりのサンマさんを、鉄板の上に載せようとしているののこを微笑ましく見守りながら、心から瑠奈はそう思うのだ。
「ちょっ！？　何やってるの、ののちゃん！
　だからサンマさんはバーベキューしちゃダメだから！
　それはちょっとフツウじゃないから！」


「それにしてもすごい活気だよねー。
　夏が始まったんだなって実感するよ」
　ライブ会場の雰囲気に、自分もちょっと興奮ぎみになりながら、そう言う鴇波 羽衣に、
「……ふぇ？　うい、何か言った？」
　眠兎のラブソングに、しみじみと耳を傾けていた最上 るるかが、振り返る。その瞳が、ちょっぴり潤んでいるように見えるのは、気のせいだろうか？
「──ううん、何でもない。楽しい思い出いっぱい作れるといいよね、ってこと。
　あっ、るるちゃんはほら、恋の進展とか！」
「えっ、うーん、あたしは……どうかなー」
　いつもの強気で自信たっぷりな彼女はどこへやら、ふと気弱げな表情を見せる彼女に、
「るるちゃんならきっと大丈夫だよ！」
「そうかな……そうだね、人生一度っきりの１５の夏だもん。
　目一杯楽しまなきゃ、損だよね！」
「あたしも、いい夏になるように頑張るよ。
　ううん、もう夏は始まってるんだもん、今日が夏の思い出第１号だねっ」


　そしてライブの歌声と歓声は、波の潮騒と混ざって、遠く離れた砂浜にも届く。
　例えば、戌井 創を膝枕して夕日を眺めている、添木 牡丹たちの元にも。


　そして、砂浜に２人並んで座る、四野辺 蘭月と難波 辰たちの所にも、また。
「そっか、難波くんももれいびやってんね」
　ろっこんの効果が切れて、再び男に戻った難波をまだちょっと不思議な思いで、ちらちら眺めながら、
「ふ〜、なんか忙しい１日やったわ」
「まったくや、えらい目におうたで……あ、蘭月」
　大きく伸びをしていた蘭月が、呼ばれて振り返る。
「言い忘れとったけどその水着むっちゃ似合っとる。
　世界一可愛いで」
「あ、もう……」
　不意打ちにたまらず、顔を伏せる彼女。夕日よりも赤く染まったその耳たぶに、難波が続きを囁いて。
「キス？　……うん、うれしい」
　夕焼けを見ながら、ちゅっとその頬っぺにキスされて。
「好っきゃで蘭月。
　また２人で見にこような」