色なき風に思い重ねて｜リアクション

色なき風に思い重ねて

　物語は無限大の広がりを見せた。乱舞する生と死と愛。有頂天を極める喜びから急転直下、どん底へ落とされる感情の振れ幅に翻弄される。豊富な登場人物それぞれに展開するドラマが複雑に絡み合い、数多の糸をより合わせるが如くに一つの結末へと導かれてゆく。そうした末にたどりついたエピローグは綾辻綾花の目元に雫を溢れさせ、ほろ苦い思いのままに心の緞帳を下ろしたのだった。
「……大丈夫かい？」
　劇的に過ぎる一冊を堪能した後はしばし尾を引く。良い物語に触れれば誰しもそんな思いにかられるものだ。
「はい……昨日読んだあの本が、まだ忘れられなくて」
　綾花も今日の早川珪との家デートに際して、どうしてもまだ心のもやもやが晴れずにいる。決してバッドエンドではなく、見ようによってはハッピーな終わり……かな？　でも……といった絶妙な塩梅のエンディングによってもたらされた衝撃は、珪に心配をさせてしまう程には綾花の顔を曇らせているらしい。
「そんなにかい？　それは、僕も興味が湧いてしまうな」
「おすすめですよ。ほろ苦くて、切ないですけど……それでもあたたかいものが人の心にはあるんだって、信じさせてくれるんです。そんな感じです」
　少しばかり照れ臭くも綾花は語った。もたらされる感情を大好きな彼とも共有したかった。それはきっと本を読み物語に触れることの醍醐味でもあると思うのだ。
「『さまよえる家族の肖像』という本です。今度持ってきますね」
「ありがとう、楽しみだな。そうだ、僕のほうも綾花さんに読んでもらいたいものがあったんだよ。『猫とペンギン』、知ってるかい？」
「いえ、聞いたことないかも？　どんな本ですか？」
「ちょっと昔の本なんだけど、最近古書店で見つけてね。都会にやってきたペンギンが、野良猫と親友になって大冒険を繰り広げるっていう……」
　珪との名著紹介はしばしば循環した。良き書籍は人から人へと巡るものらしい。彼の見せてくれた一冊の何とも楽しい表紙に心踊る。
「わぁ、楽しそうですね！」
「うん、ぜひ読んでみて。感想を聞かせてほしいな」
　先の哀しみと切なさも無論物語に触れる上で貴重な体験となり心へ刻まれたが、こんな風に何も考えず率直に楽しめる本もまたいいものだ。綾花の心のもやもやは一目するなり晴れていった。そして珪へと紹介したかの本は彼の胸に衝撃を刻み、新たな知見へと目覚めさせ、次なる物語を求めて書の海を流浪する原動力ともなるだろう。綾花と同じように。
「これだから、本を読むのはやめられませんね♪」

　夕食は綾花が、あるいは協力して作るのが二人の定番だ。珪はどちらかといえば料理が苦手だが近頃は綾花の手ほどきもあり助手をこなせるくらいには上達してきた。
　今日のメニューはオムライスとした。なぜなら先述の本に登場し、本筋を逸れて「これ美味しそうだなぁ」と思っていたので。味覚にまで訴えかける作家の描写力に脱帽である。
「今回はトマトソースも作ろうかなって」
「いいね、美味しそうだ」
　綾花が熱したフライパンに具材を投入し炒める間に、珪がトマトをくし切りにしていく。そう広いキッチンでもないから並んで作業していると時折身体が触れ合うことになる。とんと腰が触れると綾花は悪戯、とん、とんとお尻をぶつけた。珪はくすくすと笑みながら軽やかに包丁を操った。ちょっとしたやりとりに幸福な瞬間が垣間見えるもので、綾花はこの時間が大好きだ。
「トマトソース、できましたか？　いい具合ですね！　それじゃ、オムライスにかけてください」
「こうかな？　うん、見栄えもいいねこれは」
　完成したら食卓へ。夕食をいただきながら珪の晩酌にも付き合いたいところだが生憎と綾花はまだ十九だ。来年の誕生日には晴れて二十歳となるから、珪からプレゼントに贈られた誕生年のワインを開けて一緒に乾杯をするつもりである。
「そういえば珪さん、もう少しで誕生日ですよね。何か欲しいものはないですか」
「プレゼントをもらえるのかい。それは楽しみだなぁ」
　物欲というものが無いたちだからこれといった候補は挙がらなかったが、共通の趣味であり実益も兼ねる読書に絡んで何か珠玉の一冊を贈るのもいい。事務仕事が多いから便利な文具などもいいかもしれない。料理をもっと好きになってもらいたいから揃いのエプロンなどはどうだろうか？　綾花の頭にはいくつかの品々が浮かんだ。
「あまり高価なものでなくていいからね。でも、楽しみにしてるよ」
　そう言って微笑み彼は綾花の髪を、頬をそっとなぞった。

　食事と後片付けを終えて人心地着く頃にはうとうととして眠気がやってきた。

　優しい温もりに包まれてしばし綾花は微睡み、夢の中で彼とダンスを踊った。

このページにイラストを設定する

色なき風に思い重ねて

シナリオ

シナリオデータ

シナリオスケジュール

参加キャラクター一覧