散歩に行こうよ｜リアクション

散歩に行こうよ

【夜の海岸】

　ねこぴょんの日の直後の秋の、ある深夜のこと。
　水槻清恋は、森谷錠と２人で、寝子ヶ浜海岸を散歩していた。
　シーサイドタウンのラブホテルで愛し合ったあと、なぜか２人とも寝付かれず、ホテルを出て海岸に来たのだった。
　夜中だというのに、月光があるせいか、海岸は案外明るかった。あたりに響くのは、波の音と２人の砂を踏む足音だけだ。
　清恋は先日、35歳になった。
（四捨五入したら、40歳……か）
　歩きながら考え、彼女は小さく溜息をつく。
（警察官になって13年目、刑事になって8年目。だからといって特別変わったことがあるわけでもなく、日々の仕事が淡々と待っているだけ。……普通の会社員や公務員に較べたら、危険度マシマシなのは否定できないけれどもね）
　自分の職業について、ぼんやり考えながら、彼女は隣に視線を巡らせた。
　そこには、火のついたタバコをくわえて歩いて行く、錠がいる。
　彼は、横浜に住むIT企業の役員で、彼女と同い年だが年収億越えのセレブだ。
　超多忙な彼と、やはり多忙な清恋が会うのは、月に２回か３回程度だった。
（こちらは木っ端役人。同じ多忙でも質が違う。……いやまあ、卑下してるわけじゃないけど）
　胸に呟き、清恋は１人小さく肩をすくめる。
　ちなみに、２人は恋人同士ではない。いわゆる「セフレ」というやつだ。
（セフレ……というか、それ以上の存在というか？　まさかね？）
　清恋は、内心に少し狼狽しつつ苦笑し、小さくかぶりをふった。

　しばらく歩いていると、流木がベンチのように砂から突き出している場所に出くわした。
　どちらからともなく、２人はそこに腰を下ろす。
　煙を吐き出す錠を見て、清恋もタバコを取り出した。
「火、ちょうだい」
　言って、タバコを口にくわえる。
「ああ」
　うなずく錠に、彼女は顔を近づけた。
　タバコの先と先が触れ合い、清恋がくわえたタバコに火がつく。
　火のついたタバコを深く吸って、清恋は空を見上げた。
　遮るもののない夜空に、丸い月が浮かんでいる。
「いい月ね」
「ああ。満月だな。……どっかでカメが産卵してるかもな」
　清恋の呟きに、うなずいて錠が言った。
「なにそれ」
「知らないのか？　ウミガメは、満月の日に卵を産むんだと」
　問い返す彼女に、錠は軽く肩をすくめて答える。
「ふうん」
　聞いたことがあるような、ないような話だと思いながら、清恋は煙を吐き出した。そして、今ふと思い出したことを、口にする。
「そういえば、昔誰かが言ってたっけ。満月の日には、犯罪が起きやすいって」
「へぇ」
　錠が、少しだけ揶揄するような声を上げた。かまわず、清恋は続ける。
「人の心が、開放的になりすぎて、欲望が表に出るとかなんとか……。何か、そういうことを研究している人がいるって話も聞いたわ」
「ふうん。面白いな」
　錠の口調が、今度は少しだけ興味を示す色を帯びた。
　だが、そこで会話は途切れ、２人はどちらからともなく月を見上げる。
　あたりに響くのは波音だけだ。
　そして、雲一つない夜空に、タバコの煙だけが立ち上り、やがて風に流されて消えて行った――。

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