ふわふわとした足取りでパーティーから戻った柚春は、さすがにもう驚くことはないだろうと思っていた。
日付が変わった瞬間から今に至るまで、幸せ過ぎて不安にもなったし、ときめき過ぎて何度頬を赤らめたかわからないし、数々のセレブ体験にはそれこそ驚き過ぎて感想を言葉にするのも難しい。
けどそれは、きっと誕生日だからだ。余韻を残しながらも朝を迎えれば、普通の恋人としてウォルターと過ごす日々が待っているだけ――というのも夢みたいな話ではあるが、自覚も出てきた今は驚くことではない。
しかし部屋に戻ってみれば、玄関口にカードのついた1本の赤いバラが待ち構えていた。
「There’s……『ある』?」
「うん、『そこにある』って意味だよ。今もね」
なんのことだと首を傾げる柚春に苦笑しながら、ウォルターはきちんと日本語訳を添える。そして広い部屋の中を冒険するように、彼女を誘導し始めた。廊下には『Just』、ダイニングには『One』。花瓶にも、額縁の隙間にも差し込まれたバラを集めて回り、『There’s just one thing I want to say.』という8個の単語が揃った。
「繋げると、『ひとつだけ言いたいことがある』なんだけど……ほら、まだあるよ」
ベッドの上のバラには『That’s……』とだけ書かれていて、言いたいことは書かれていない。柚春は9本目のバラを拾い上げ、この宝探しがまだ続くのかとウォルターを見上げようとした。だが、彼はしゃがんでいた。
「……『それは』?」
「それはね……」
片膝をついて、触れる許可を求めるように手を差し出すウォルターの姿に、思わず柚春もバラたちを左手に収めて彼の手を取る。ゆっくりと親指で指先を撫でられると、何かを確かめられているみたいで落ち着かない。
「You mean so much to me……つまり、君は僕にとってかけがえのない存在なんだ」
そっとバラに目線を移して微笑むウォルターは、親指で彼女の薬指を確かめる。今は左手ではないけれど、それでもこの指輪はただのファッションリングではない。
「だから、いつまでも一緒にいてほしいってこと」
口づけを請うように手を引き、そっと見つめる。そんなウォルターに返す言葉が見つからず、柚春は静かに頷いた。きっと嬉しいとか、ありがとうじゃなくて、もっと相応しい言葉があるはずなのに紡げない。
優しくペアリングへと口づけた彼が照れくさそうに笑うから、柚春の胸もきゅっと苦しくなってウォルターが立ち上がった瞬間に胸へ飛びついていた。
「とっても嬉しいとか、すごく幸せとか……とびっきりの好きじゃ足りないときは、なんて言えばいい?」
「そうだなぁ……全部込めて、名前を呼べばいいんじゃない?」
日本語か英語かなんて関係ないし、それこそ難しい言葉を並べる必要だってない。互いに呼ぶ名前こそが、何よりも深くて最上級に甘い――2人だけの愛の言葉になることは、きっと世界共通だ。
「ねぇ、ワット。もう誕生日は終わっちゃったかな?」
「どうだろうねぇ。それなら柚春と付き合って2日目のお祝いでもしようか?」
クスクス笑う彼に軽いキスをひとつ。この日が終わらないと言ってくれたことに、もうひとつ。でも、離れることが寂しくなってしまった唇は、いつの間にか深く重なっていた。