フェアリーランド・バレー開拓記　その２｜リアクション

フェアリーランド・バレー開拓記　その２

【あたらしい風】

　心は冒険を求めていたのでしょう。
　ねこがぴょんっと跳んだあの日から、実に１０年以上の時が流れました。うつろで儚げな少女であった月原想花も今では、いくつかの肩書きというものを持っています。例えば、世界中を魅了したカリスマモデル、その名も『ソフィ』として。例えば、そのモデル業のかたわらに執筆した小説が新人賞を受賞、電撃デビューからいくつもの名著を生み出した作家として。目の覚めるような功績を打ち立てながら、想花は早足に人生を歩んできました。
　だからちょっぴり、疲れてしまったのでしょう。
「はー。マネージャーとか編集長とか、怒ってるかな～。怒ってるよね～……」
　偉業とともに構築されてゆく人間関係の厚みもまた、心の疲弊の要因であったように思います。そうとは望まぬまま、おびただしくつながってゆく人脈におののき、さまざまな思惑をもって無遠慮に近づいてくる人々の持ちかけてくるあれこれを右から左へ受け流すたび、なにか自分の中の大切なものが削ぎ落されてゆくような感覚を覚えました。
　だから、仕方ないのです。逃避行は想花の心を守るため、必要なこと。取材や撮影のスケジュール、執筆の締め切りをぶっちぎって訪れたこの場所で新たな生活を始めることは、想花が己のアイデンティティを保つためには必要なことだったのです……胸にわだかまる罪悪感にフタをするように、想花はフェアリーランド・バレーでの生活を楽しもうと心に決めました。
　そうして新生活を初めて、はや数か月。
「やった、グローテールニンジンが豊作だー！」
　自分の家を建て、畑で農作に打ち込み、想花はすっかり開拓スローライフを満喫しておりました。太陽の下でクワを振るい、気持ち良く汗をかいて、美味しい野菜を収穫して……罪悪感？　なにそれ？　ってなものです。
「おおっ、実ったなあ、想花！」
「あっ、オリバーさん！」
　のてのてとやってきたのは、フェアリーランド・バレーで食堂を営む、クマのオリバーさん。想花の育てた野菜を買い取り、食材として美味しく調理してくれる有能シェフです。
　オリバーさんは、お尻のあたりがちょっぴり輝いているつやつやのニンジンをじっくり見つめて、
「うーむ、見事な出来栄えだ。想花ももういっぱしの農家だな。ここでの暮らしがすっかり板についてきたなあ」
「あはは、それほどでも……オリバーさんや町長さんや、みんなのおかげだよ」
「あんたの努力のたまものさ。こいつも売ってくれるだろう？　今日のメイン食材の付け合わせにぴったりなんだ」
「うん、もちろん。自分で食べる分以外は、ぜんぶ持っていって」
　そうして持ちつ持たれつ。ここでの人間関係はなんだかゆるやかで、なにかに追い立てられることもなく、誰もが想花のペースに合わせて歩んでくれました。
「オリバーさん……」
「うん？」
「ぼく……ここに来てよかったよ」
　ぽつり、つぶやくと、オリバーさんも嬉しそうに満面の笑み。ああ、なんて素敵な笑顔でしょう。

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